思想家・吉本隆明氏の家に集う猫と人の、しなやかでしたたかな交流を綴った『それでも猫はでかけていく』より、試し読みをお届けします。
事故で左前脚に障害を負い、我家の猫となったヒメ子。彼女には3匹の兄妹がいます。
唯一の雄は、かかりつけの「D動物病院」の飼い猫となりました。残る2匹の姉妹は無事避妊手術も済ませ、大通り沿いのKさん宅の隣の空地で暮らしていました。彼女たちは、代々この空地で子育てしてきたトラジマ一族最後の子供たちだからと大切にされ、タケちゃん・アカちゃんと名付けられ、Kさんや隣近所の人たちのアイドルでした。
そんなある日、突然Kさんがタケちゃんの亡骸を持って我家を訪れました。驚いて尋ねると、3日前まではピンピンしていたのに、急に食べなくなり、翌丸1日姿を隠していたと思ったら出て来て死んでいたとのことでした。そんなヘンな病気ってあるのだろうか? と疑問に思いましたが、もしかしたら事故で車にでも当たって、ジワジワと脳か内臓で出血していたのかも……と、釈然としないまま、一人暮らしで持病のある高齢のKさんに代わって、お墓を掘ってタケちゃんを葬りました。するとそれからちょうど1週間後、残る1匹のアカちゃんが、まったく同じ経過で瀕死の状態で見つかったと、Kさんに呼び出されました。アカちゃんの体温は低く意識はもうろうとして、かなり危険な状態でした。急いで「D動物病院」に運びましたが、1時間後に死亡の知らせを受けました。
D院長によると、アカちゃんは急激な腎不全・肝不全による脱水と高カリウム血症の状態で、自然の病気とは考えにくい、薬物による可能性大であるとの話でした。
何者かが、エサに毒物を入れたのです。
Kさん宅の周辺では、以前からその噂がありました。猫や、犬までもが突然死していたのだそうです。猫が家の間を通るのが嫌で「お薬撒きましたのよ」と言っていた奥さんがいたとか聞きましたが、その時は「まっさかー!」と、特に深刻には受け止めていませんでした。Kさんは警察に届け、私は牽制のためのビラを貼りまくりましたが、遅すぎました。もう2匹は戻ってこないのです。
Kさんの落胆ぶりはいかばかりか、気の毒で声をかけることもできません。
家の間を通られない権利? 花壇を汚されない権利? 自分の持てるあり余る権利の内、ちっぽけな最後の一片まで行使するために、弱い生き物の生きるというたった一つの権利さえも奪い取る。そんな普通の人こそが一番残忍で、欲深いのだと思い知らされました。