世界中で民主主義が劣化している。アメリカのトランプ現象、イギリスのEU離脱、フランスの極右政権の台頭。多数の民意を反映した選択は、目先の利益のみを優先したものばかりです。そのむき出しの欲望と民主主義が結びついたとき何が起こるのか? 若き天才哲学者、マルクス・ガブリエルら世界を代表する知識人がその混迷の深層を語り、話題となったNHK番組が『欲望の民主主義~分断を越える哲学』として書籍化されました。世界の知性が見る、民主主義の現実と限界とは――?
ジャン=ピエール・ルゴフ「パイロットがいない飛行機のゆくえ」の冒頭をお届けします。
ジャン=ピエール・ルゴフ Jean-Pierre Le Goff
社会学者/作家(フランス)。フランス国立科学研究センター(CNRS)研究員。1949年生まれ。
人々の価値観の変遷を鋭く分析し、現代社会の脱人間化を深く問う、フランスの代表的知識人の一人。専門は政治社会学。1968年の五月革命によってフランスが、現代社会が失ったものについて考察。闇雲な「近代化」への警鐘を、論文、小説、エッセイなど、さまざまな表現で表明し続けている。著書に『ポスト全体主義時代の民主主義』(青灯社)ほか。
自分のいる世界がわからなくなったフランス人
フランス国民は自分たちがどのような世界に生きているか、もはやまったくわからなくなってしまったように思います。彼らの目にはこの世界は広大なカオス状態に映っているのです。政治家ももはや大きな変化をもたらすことのできる存在ではないというイメージを与えています。国民は、一見鳴りもの入りの政策が単なる責任回避でしかないことに、気づいたのです。
例えば、今、しきりに変革と言われますが、いったいそれはどこに向かうことを意味しているのでしょうか? 相変わらずぼんやりとした問いがなされているのです。変革は何のためにするのか? いったい、どこに向かうためのものなのか? その答えの中にも曖昧さが滲みます。この曖昧さこそが社会の中に不安や、ストレスを生むのです。大量失業が生まれていることを考えても、問題は経済的であると同時に社会的なものであることがわかります。失業は失業者たちにとって、社会構造の喪失を意味するのです。
同時に、私たちのこの新しい世界がカオス状態にあることを、エリートたちが理解できない限りは、問題は政治的・文化的なものでもあると言えます。これは民主主義国家に漂う不安を理解するために重要な要素だと考えています。
どの選択肢も無理のある時代
私たちは数年前から「選択不可能な選択」に直面しています。すなわち「不況から脱出するために危険を承知で行う積極的な政策」「停滞を打破するための果敢な企て」です。ここではまずこの世界に適応することが求められます。誰もコントロールできない混沌とした世界ですが、それでも適応することが重要なのです。
しかし、グローバリゼーションから締め出された社会階層の人たち、グローバリゼーションにおける敗者にとっては、こうした選択は取り得ないものです。彼らは、将来も変わらずコントロール不能な世界に適応することで、常に犠牲的立場を強いられるような話を支持できるはずがありません。ここに矛盾が発生するのです。一部の政治家は、国民に対してこのグローバル化された世界に適応しろと訴え続けているわけですが、彼ら政治家自身にはさほど問題ではありません。なぜなら、彼らは「開かれていること」「グローバル化すること」について十分な教育を受けた世界に生きているからです。
しかし、これは何かに守られ、常に安心したいという欲求を感じている人も含めた社会のすべての階層には当てはまらないものです。たしかに、こうした市民を守り、安心させるということは国の政策における根本的な責務であったわけですし、今後もそうあり続けねばならないはずなのですが。
EUがなぜこれほど障害にぶつかっているのでしょうか? それは、そもそも、その成立が「積極的な政策」「果敢な企て」と一致するものだったからなのです。他に方法はないからやらなくてはならないのだ、進めねばならないのだ、常に後ろから何かを追いかけなくてはならないのだ、休むことなく適応していく必要があるのだという強迫観念からなのです。目標や目的が明確でない時にどの方向に向かって進めばよいと言うのでしょうか? そこにあるのは、管理やコミュニケーションにおける積極的行動主義でしょう。「前進するのだ、適応しろ、変えろ!」と言い、重要なのはそこに参加することなのだというわけですが、自分たちがどこに向かおうとしているか見えていないのです。
実は、それ以外の別の選択肢もあります。「もうここで止まろう」「以前の時代の方が良かったではないか」という考えに基づくものですね。これは神話であり、かつての国家のイメージへのノスタルジーとも言えるものですが、文字通り、過去の栄光に思いを馳せ、想像上の過去を基にしたものです。おそらく他の多くの国でも同じだと思いますが、フランスにおいては社会そのものと国民が数年前からこの「選択不可能な選択」にぶつかっているわけです。
「選択不可能な選択」への大衆の反逆
私が「近代主義」と呼ぶ「積極的な政策」「果敢な企て」に対して大衆の間に反逆が起きているのです。私自身は、世界への「適応」や「近代」というものに反対しているわけではありません。私が反対しているのは、近代の動きとは異なる近代主義の「前方への逃避」です。どこに向かっているかわからないが、とにかく前へ進め、適応しろ、という考えに対してです。今日、この前方への逃避に対する大衆の反発が、いわゆる「ポピュリスト」の流れと言えるのです。「やっぱり以前の方が良かった、やめて後ろへ引き返すべきだ」という考え方に基づくものですね。これはこれで現実的でないと私は思います。
実際、欧州で何が起きているのかをよく理解するためには、ブレグジットや、フランスにおける国民戦線や欧州における同じようなタイプのポピュリズムの台頭など、実際その事実が起こった背景に当てはめて出来事を考えなければならないでしょう。アメリカでのトランプ現象も同じ類のものです。
今日フランスで起きていることの本質には、30年ほど前から支配的になった文化に社会の一部がまったく関わっていないという問題があります。そこで左派が不意に足を取られたのです。社会的観点から言えば、左派は大量失業問題に対して明らかに十分な対応能力を示すことができなかったのです。同時に、価値観や習俗に関して、文化的革命の先端を行くイメージを与えていましたが、庶民層からの拒絶反応を引き起こしたのです。左派は、過去数十年の間、庶民層の正当な代表者であり続けたわけですが、今や、その関係は完全に絶たれてしまったのです。
すべてではないものの、おそらく今では左派の大部分が中間層のグローバリゼーションの恩恵を享受する人たちの代表者となってしまったのです。すなわち、開かれた価値観や生活習俗に文化、娯楽やパーティ、新しい個人主義的価値を持つ中間層の代表者というわけです。その一方で、この階層にまったく所属しない大部分の社会層が反発しているという構図です。
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続きは、『欲望の民主主義』をご覧ください。
ジャン=ピエール・ルゴフ(社会学者)以外に、マルセル・ゴーシェ(政治哲学者)、シンシア・フルーリー(政治哲学者)、ジョナサン・ハイト(社会心理学者)、ヤシャ・モンク(政治学者)、マルクス・ガブリエル(哲学者)が登場します。