家にいる時間は増えたものの、不安やストレスが増す日々。そんななか、たとえば手間と時間をかけて、日常に向き合ってみる。衣・食・住、日々の生き方……丁寧に暮らし、心を守るヒントをあなたに。2018年2月に公開した記事をあらためてご紹介します。
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キラキラとしたものは眩(まぶ)しくて、ときに見ることさえもむずかしい――。バンドGEZANのマヒト、時代もジャンルも自由にまたぐ鬼才が捉えた日々の光。
肋骨が割れている。勝手にその響きから六本の骨があるように思っていたけれど、実際のところどうなのだろうか。
その数がどうであれ、その内の一本がポキリと折れていて、おまけに風邪も引いてるもんだから、咳やくしゃみをするたびに疼(うず)くように痛む。折った理由は自業自得の極みなので割愛するが、人体は不思議なもので、肋骨をかばおうとすると、そのつけが背骨にくる。つくづく体は縦の動きには強いが不自然に負荷がかかるものには滅法弱く、私は今、痛みの大三角形につきまとわれている。
セッションのリハーサルを終えたわたしは、共演者の寺尾紗穂と共に会場を後にし、温泉をめざす。2月の頭、この日の愛媛は四国に似つかわしくないほどに寒く、雪の結晶が空からひらひらとこぼれていた。わたしと寺尾さんはそのこぼれおちる白い結晶に口をあんぐりあけながら、温い息をその割れ目から漏らし、愛媛の道を歩いていた。靴の踵を踏みながらつっかけのように、ふらりくらり。その頭上、ゆうさりの冷えた雲が黒く焦げていて、それはもう毛布でもかけてあげたいと思えるほどに。
奥道後浴泉と書かれた暖簾の手前、無人の販売機で入浴券を買うために、ポケットに投げ入れてきたメダルを数枚入れて、ボタンに指をかける。
こんな時、未だに大人ではなく、小人のボタンにまずフォーカスが合い、その指を自然な意志に任せるとプッシュしてしまいそうになる。わたしはいつのまに大人と呼ばれる年月をつむいだのだろう。毎日、メモをとってきたわけではないから、時たま訪れる、現実の前にきっちりと、しっかりと驚く。
「出る時間はバラバラだろうから、会場で待ち合わそう。」
そう言って、寺尾さんは左に、わたしは右の青い暖簾をくぐる。
中は温泉というよりは大衆浴場と呼ぶ方がしっくりくる。よくよく見れば、源泉は道後と書かれてはいるが、温泉とはどこにも書かれていない。いや、いい。別にお湯の効能なんて大してわかりやしないのだ。しっかりと騙してくれさえすればいい。わたしは脳みその皺を親指と人差し指でつまみ、今の今に見たその記憶を書き換える。
「ワタシハイマカラ、オンセンニ、ハイルノダ」
わたしは服を脱ぎロッカーに入れ、その鍵を足首に巻き、大浴場に入る。湯気、黄色いケロヨンのオケが反響する音、石鹸の匂い、シャンプーが泡立つ音。体をひとしきり流した後、湯船につかってつく深いため息。冷えた背骨にじんわりと染み入っていく、その横でおじいさん同士が天気の話をしている。
「去年の今頃はこんなには寒くなかった」
「今日は朝起きたら霜がすごくてなあ」
「明日はどうかのう」
「ふらんといいのう」
ずっとずっと、そんな話しを永遠のように語り合っている。わたしはぼんやりと天井を眺めながらそれをうんうんと聞いていた。きっと、毎日のルーティンはそのように固まっていき、変化と言えば、天気や体調の話くらいになっていくのではないか。わたしもいつかそんな風になれるだろうか、そんなことを思いながらぶくぶくと泡立つ湯の中で温い温度の塊になっている。もう吐く息は白くないだろう。
幸福を感じるやつは鈍感なやつだ的なことを岡本太郎は名言のように語り腐っていたが、幸せを求めて何が悪いのかと問いたい。言葉も音楽も芸術も、その行き着く先はどうか幸福であってほしい。芸術のための芸術に救われたことなんて一度だってない。少なくともこのじーさんとじーさんには太郎さんのげーじつよりも当たらないお天気アナウンサーのにっこり笑顔のほうが暮らしってヤツを支えているのだ。
「またあした」
そう言って片割れのじーさんは先にあがる。この浴場は特別でもなんでもない、日々繰り返す季節のよう、そんな生活のワンシーンになっているのだろう。またあした。大好きな言葉。
少しのぼせてしまったから、一度脱衣所にあがり、自販機でエネルゲンを購入。乾いた唇をあてがいゴクリと飲むと、胃に向けて冷えた流動体が線を描くように駆け抜けた。
真ん中に置かれたテレビにフィギアスケートの羽生結弦がオリンピックのインタビュアーの質疑に応答していた。年齢相応などとっくのとうに飛び越えた受け答え、そこから彼のたどってきた責任や重圧の体積を感じ取る。いや、そうではない。その応答のあまりの完成された様子に彼がAIなのではないかという疑問が浮かんでいた。いや、あー。そうだ。AIだ。間違いない。疑問が確信にかわるまでに時間は要さなかった。その完璧なトークの中に残された人間味が逆にAIであるという事実を加速させる。
こんな完成されたやりとり、同じ人間なわけがないもの。何故だか、自分がボロ雑巾のように思える。おそらくプログラミングされているのだろうが、その纏った勝ちのオーラは眩しく、蛍光灯の光と絡み合い4回転半のひねりをくわえ、網膜に飛び込んでくる。
勘のいい皆様はすでに感じとりはじめているだろうが、テレビCMなどで刷り込みは始まっている。AIを身近にフランクに置く環境の準備は着々と進められている。もう、こうなってしまえばあとは絡め取られるようにその流れに巻かれるだけだ。まあ、そのうち乗っ取られちゃうななんてのは容易に想像はつく。羽生くんの笑顔はわたしの体をぶるるんと冷やした。エネルゲンを飲み干し、空けた缶を握りつぶし、再び浴場へと体を沈める。未来への不安なんてのは柄に合わない。
「ぶくぶくぶく」
頭までつかって再び浮かび上がる。息が荒くなり、その分だけ、肋骨が痛む。呼吸や痛みはわたしがそこにいることを教えてくれる。
湯船から上がり、ドライヤーでやや長すぎるであろう髪を乾かしながら、鏡のわたしと目があう。普段できるだけ、鏡を見ないようにつとめるわたしは、こんな時くらい自分の顔をよく見てみる。右目と左目の大きさが少しだけ違う。薄い赤に充血した目、今まで気づかなかった箇所にできているほくろ、沁み。薄く生えている眉毛と眉毛の間の毛、いつだって日々変化はしてる。おおざっぱに見ればないものにできてしまえる、そんな小さな変化は自分の内外で秒速で起こり続けている。髪の毛が長いおかげで、20円でワンクールのドライヤーを2ターン分。その間、わたしはわたしの顔を見ている。この顔との付き合いも28年になる。
できるだけ、丁寧に生きたいと暖簾を出て空を見上げたわたしは思っていた。
月はどっちに出てる? そういうことだって大切にしたい。たまにはカラスの気持ちも考えてみる。いいやつにならなくていい。ただ丁寧に、日々のつなぎ目に気を配る。そーんな感じ。
天気のはなしでいっぱいになるのが先か、AIによる侵略が先か、戦争による世界の自滅が先か、いずれにしたって、丁寧に生きたい。
今度は踵を踏まずに靴を履いて小走りで会場へ駆け出した。