寄せては返す「酒の渚」のほとりで、叱られながら少しずつ育てられてきた―ー。さだまさしさん最新エッセイ『酒の渚』より試し読みをお届けします。
三十年以上も昔の話。
「風に立つライオン」という歌のモデル、柴田紘一郎先生は宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)に助教授として招かれ、長崎を去った。
ふらりと宮崎に遊びに行って大学病院を訪ねると柴田先生はいつも病室に居て、爺ちゃんや婆ちゃんの手を握って何時間でも話を聞いていた。
これこそ名医だ、と思った。
僕らはいつも宮崎市内の繁華街にある赤玉駐車場の奥の店『くし幸』に集合した。
柴田先生の幼なじみの井上紘宇さんが独りで切り盛りする美味しい串揚げ屋だった。
コンサートを終えて店に辿り着くのは夜十時過ぎ。
そんな時間でも執刀外科医の柴田先生はまだ手術をしていることが多く、深夜になるまで先生を待ったものだ。
当時僕は、二十歳の時に聞いた柴田先生の語る「ケニア」を歌にしたいと頑張っていたのだが、出会ってから十年を過ぎてもその歌は僕に降って来てはくれなかった。
何故大学病院での貴重な時間を捨てて、アフリカへ行ったのか不思議で、呑む度に「先生、なんで医者になってアフリカへ行く決心ばしたと?」と聞いたが、いつも真っ赤になって、「いいや、つまらん理由ですたい」と笑うばかりで決して教えてくれなかった。
例によって『くし幸』で待ち合わせたその日、柴田先生が現れたのは深夜一時近くだった。
余程大変な手術だったことは先生の疲れ様で分かる。
「おい、今日は旨か酒ば呑ませるばい」
そう言うと井上さんは僕らの前に〈しずく〉という酒を置いた。
福井の『黒龍酒造』の名酒だ。
すっきりとフルーティな吟醸香が美しく、鼻から目へ抜けた気がした。
「うわ」僕が一口呑んで思わず唸ると、井上さんは嬉しそうに「旨かろう?」と笑った。
この晩はすぐに一升瓶が空き、柴田先生は手術の疲れもあって、流石に酩酊した。
これはチャンスと、いつもの質問をぶつけてみたら、とうとうその答えが返ってきた。
「小学四年の時に、伯父貴がくれた本に感動して、僕はああ、医者になりたかなぁって思うたとですたい」
「何ていう本ですか?」
「『アフリカの父』っていう本ですたい」
シュヴァイツァーの伝記だ。
成る程、この人がアフリカに行かねばならない理由はそれだったかと僕は膝を打った。
この直後に「風に立つライオン」という歌はようやく僕に降って来てくれたのだった。
柴田先生からケニアの話を聞いてから十五年目、僕は三十五歳になっていた。
録音直後に「やっと先生の歌が出来ましたよ」というメッセージをつけ、カセットテープを宮崎に送った。
すぐに先生から返事が来た。
お嬢さんのものらしいキティの可愛らしい便せんに、万年筆の木訥で温かな先生らしい太い文字で「これは僕の歌ではありません。しかし僕の話がヒントになり、この素晴らしい歌が出来たことがとても嬉しい。僕は頑張ってあなたのライオンに一歩でも近づきたいです」と書いてあった。
歌が出来て数年経った後、『くし幸』のカウンターで先生と呑んだ時のことだ。
「良い歌の出来たけん、旨い酒を出すよ。ほい、手作りのカラスミもサービス」
井上さんはそう言うと、黒漆塗りのような箱に入った黒龍の〈二左衛門〉を出した。
恐る恐る口にすると、前に呑んだ〈しずく〉よりも更に深く、透明感が増して鮮やかな吟醸香が鼻から目に抜けた。
「こりゃあ綺麗か」
先生も目を丸くした。
カラスミも濃厚で旨い。
ところで、とふと先生が言った。
「僕がサンタクロースになった話は、いつまさしさんにしましたかねえ?」
そこは僕の想像で創作した部分だったからびっくりした。
「え⁉ 先生、サンタクロースになったことがあると?」
「ありますよ、タンザニア国境の村で。ばってんその話ば、まさしさんにした記憶が無い」
「いや、聞いとらん。先生、今、初めて聞いたぁ!」
「でしょう⁉ だけん、なんで僕がサンタになったことを知っていたのか僕は不思議で」
そうか、見ていなくても見えるものなのだ、と感動する。
〈二左衛門〉の一升瓶はすぐに空になった。
「ほほう、やはりあの歌は、神様がくれたんやな。よし、ではお祝いに、神様のくれた酒を進ぜよう」
遂に黒龍の最高峰〈石田屋〉が目の前に置かれた。
「福井の蔵元まで自分で出掛けていくほど気に入っているんだ」
井上さんが胸を張った。
初めて口にした〈石田屋〉は異次元の酒で、舌の上でたちまち華やかに消えた。
呑むというより、淡雪のように沁み込んで喉に溶けた。
僕らは口に含んで幾度も首を捻ったり、深く頷いては声も無く幾度もため息をついた。
神様のくれた一夜だった。
だが、その夜から十年あまり後、井上さんは心筋梗塞で倒れて突然に世を去り、名店『くし幸』も今は無い。
そして歌が出来てから二十八年後、映画になった。
試写会の帰り道、僕は、ああ井上さんに観せたかったなぁと、彼の懐かしい笑顔を思い出した。
遠くで桜の香りがした。
黒龍 石田屋
1804年の創業以来、地元、福井の九頭竜川の伏流水を用い、手造りの日本酒を追求してきた『黒龍酒造』。〈石田屋〉は屋号から名づけられた。純米大吟醸酒を敢えて2、3年、低温のまま熟成。それにより、旨さとまろやかさが加わり、香りは実におだやか。10~15℃に冷やすのがお勧め。毎年11月に数量限定で出荷される。