寄せては返す「酒の渚」のほとりで、叱られながら少しずつ育てられてきた―ー。さだまさしさん最新エッセイ『酒の渚』より試し読みをお届けします。
一九七四年の秋、在東京長崎県人会の皆さんが「精霊流し」大ヒットのお祝いをして下さることになり、お招きを頂いた。
その席で長崎出身の実業家で、財界の大立者として名高い今里広記さんに初めてお目にかかった。
僕は今里さんに大層気に入られ、その後もすぐに財界のお仲間との呑み会にお招き頂き、中山素平さんらにお引き合わせ下さった。
「君のような若者はね、偉大な人にいっぱい会わなくては駄目だよ」
今里さんはそう言った。
「どうすれば偉大な人と会えますか?」
僕が聞くと、
「僕が会わせるから、僕が呼んだら出来るだけ出ておいで」
そう言って優しく笑った。
周りの人は「今里先生」と呼んだが、僕がそう呼ぶと嫌な顔をした。
「お爺ちゃんと呼びなさい」
「え? まさか!」
「君とは親類のような気持ちでいるのだから『先生』は嫌だ。お爺ちゃんと呼びなさい」
それで僕は最初恐る恐る「お爺ちゃま」と呼んでみた。
「はい、はい」という優しい返事。
あの偉大な今里広記さんを「お爺ちゃま」と呼ぶ日が来るとは思わなかったな。
それから時々お呼びがかかったが、忘れられないのは出会って二年ほど後の暮れのこと。
「明日の夕方、六時半に新橋の『かねたなか』へおいで」と電話があったのは良いが、田舎モンの僕にはまず『かねたなか』が分からない。
それで東京駅からタクシーに乗り、さも知った風に「新橋の『かねたなか』へお願いします」と言った。
「あの……料亭ですよね?」
「そうそう……(小声で)多分」
へえ、料亭の名前なのか。
着いたらその店は『金田中』という文字で、後で聞いたら日本有数の名料亭だそうな。
まず驚いたのは、広い廊下が見事に磨き上げられていたこと。
何しろ僕如きの履くアクリル製の靴下だと、まるでスケートリンクの上に居るようで滑って前へ進めない。
それでも運動神経に長けた僕のことなので、すぐにスケーティングのコツを摑む。
大きな部屋に、お爺ちゃまは既に座っていた。
「君は下座の、この僕の隣に座りなさい。それでね、今日は君が僕の代わりにお客様をお迎えしなさい」
「はい」と緊張する。
すぐに仲居さんが「お客様がお見えでございます」と言うので僕は直ちに立ち上がり、アクリル製の靴下をものともせずスケーティング鮮やかに玄関まで滑る。
見ると身体にぴったりと合ったお洒落なコートに身を包み、上縁だけ鼈(べつ)甲(こう)という品の良い眼鏡をかけた、水戸黄門のように綺麗で白い顎鬚のお爺さんが、背筋も伸びて美しく立っている。
「今里様のお客様でございますね」
僕が言うとその人は掠れた声で「やあ、そうそう」と右手のボルサリーノのソフト帽を持ち上げて優しく笑った。
お部屋にご案内するなり、お爺ちゃまと握手を交わす。
すぐに「次のお客様がお見え」で、直ちにスケーティングで玄関へ。
今度は如何にも文学者風の飾らない背広のお爺さんで、お爺ちゃまよりはずっと若い、校長先生のような紳士だった。
「あの、お爺ちゃま」
僕は恐る恐る尋ねた。
「あの格好良い、水戸黄門のようなお爺さん、誰?」
「ん? 君は谷川徹三先生を知らないのか?」
「え⁉ 哲学者の? あの『宮沢賢治の世界』? の?」
「そうだ」
「へ、まだご存命で……」
お爺ちゃまは思わず吹き出して、
「失礼なことを言うな」
コツン、と頭を小突かれる。
二人目は文芸評論家で俳人の山本健吉先生だった。
山本先生のことを後々僕は「親父」と呼ぶようになり、やがて角川春樹さんの弟分として「山本一家の次男坊」と呼ばれるようになる。
三人目はシャンソン研究で有名な蘆原英了先生。
現れるなり僕の手を強く握り「『フレディもしくは三教街』は君の作品だったんだってねえ」と大きな目でおっしゃる。
「僕はねえ、あの歌はてっきり仏蘭西の歌だと思っていたんだ」
シャンソン研究の第一人者のその言葉に僕は嬉しいやら照れるやらで、ただただ恐れ入るばかりだった。
あの頃もっともっと谷川先生に宮沢賢治のことを伺っておきたかったなと思うのはずっと後、先生が亡くなられてからのことである。
なにせ僕はこの時二十四歳。
偉大な先生方の前にただただ臆し、恐れ入り、ひたすらにお酌(しやく)をして歩くのみだった。
そのうち有名な「流しのきんちゃん」がギター片手に現れ、お爺ちゃまは誰も知らない謎の歌「アラビアの王様とお后の歌」を必ず歌い、蘆原先生は僕の「フレディもしくは三教街」を気に入って歌って下さる。
僕は「きんちゃん」のギターを借りて弾き語りで歌う。
したたか呑んだが、一体どこの何という酒を呑んだのかはさっぱり分からない。
その後も幾度か『金田中』で呑んだが、やはり何を呑んだかさっぱり分からない。
ただ、酔っても、廊下で一度も転ばなかった。
それだけが自慢だな。
新ばし 金田中
大正中期に創業した、新橋花柳界の老舗料亭。滋味深い最高峰の旬の味に舌鼓を打ちながら、新橋芸者の遊芸を愉しむ─。『金田中』のもてなしは、正月にはその絵が大広間を飾る横山大観はじめ、著名な文化人やトップクラスの政財界人、海外要人たちに愛されている。建築家・今里隆が提案した現代数寄屋造りで、「真・行・草」という3つの内装コンセプトに分けられたお座敷もまた、非日常へと誘う。一見は昼の予約のみ可。花柳界のしきたりにより、芸者の入る夜は紹介制。