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ウチのセンセーは、今日も失踪中

2018.03.19 公開 ポスト

痛快お仕事エンタメ『ウチのセンセーは、今日も失踪中』 その4

広島風お好み焼き、僕に描かせてください!山本幸久

「この連載、落としちゃダメだ!」漫画家、編集者、アシスタントが奮闘する、痛快で沁みる、お仕事エンタメ『ウチのセンセーは、今日も失踪中』から試し読みをお届けします。

「玄関見たら、ナイキのシューズが一足なかったんですよ」吉野が言った。まるで告げ口みたいな口ぶりだ。うれしそうに笑っているのも、宏彦は気に入らなかった。「俺らがくる前から部屋に持ち込んでたにちがいありません」
「いまこの段階で、何枚完成してる?」と伊勢崎。
「七枚です。ページはバラバラですが」
「ベタ塗りがおわったこれで八枚ッスからね」
 平林が答えたすぐあとに、吉野が言った。
「穴守さんはどこまで進めてったの?」
「人物のペン入れが済んでたのが半分ちょいでした」
「そこまでやって、なんで逃げちゃうのかしら、あのひと。やんなっちゃうな」
 伊勢崎が吐き捨てるように言った。感情を露わにした、とまでいかずとも、苛立っているのは間違いない。
「いまの進捗状況は?」
「俺が穴守さんの代わりに、人物のペン入れのつづきをやってて、十二枚目に突入したところです」
 平林の机にあるのがそれだろう。
「ぜんぶで十八ページのうち残り七ページ、一枚一時間と見て、夜中の三時まではかかるでしょう。そっから俺も仕上げに入って、全員完徹すれば、明日の朝七時までにはどうにかなると思います」
 宏彦は我が耳を疑った。人物のペン入れだけとは言え、一枚一時間で描けるのか。に俄わかには信じ難い話である。宏彦自身は三十枚の原稿に一ヶ月かかったのだ。バイトが休みの日は丸一日、延々と描きつづけていた。朝陽がのぼると同時に床に就くのも、一度や二度ではない。
 にいちゃん、そんなに根つめて平気っちゃ? あんまり無理しちゃいけんよ。
 なに言うとるっちゃ。他人のことより自分の身体に気ぃ遣え。
 妹の美和は幼い頃から病弱で、中二になったいまも学校を休みがちだった。そのぶん、というわけではないが、勉強がよくできて、成績は学年でトップクラスである。
 ああ、そうだ。今日は帰れないってウチに連絡しないと。
 そう考えていると、平林が宏彦の右肩に手を置いた。
「ある意味、この子の力量次第ってとこも大いにあります」
 そう言われても困る。
 事の重大さがわかるにつれ、宏彦は緊張が高まってきた。編集部にいたときとは段違いにである。本来ならばいまごろ、池袋のアニメイトで美和に土産を買っているはずなのに。
 とんでもないことに巻きこまれちまったぞ。
「どうにかなりますかねぇ」
 吉野が口を尖らせて言う。ほんとは尖ってなどいないのだが、そう見える口ぶりなのだ。
「今回のチューボー刑事ときたら、電車に乗りこんだ窃盗犯を、車内で追っかけたものの捕まえることができなくて、ホームへ降りて、階段を駆けのぼって、改札をでて、さらにはひとに溢れた商店街まで追いつづけるんスよ。いつもの倍、いや、三倍は人物も背景も描かなくちゃいけないんですからね。伊勢崎さんにも責任の一端はありますよ。穴守さんとの打ちあわせの段階で、こんな展開にオッケーをださなきゃ、俺達だっていらぬ苦労をせずに、うわっ、なにするんですか、平林さん。やめてくださいって」
 平林がふたたび吉野の目にレーザーポインターの赤い光を当てたのだ。
「伊勢崎さんに文句を言うのは筋違いだろうが」
「文句なんか言ってませんって。意見ですよ、意見」
「商店街の場面に入るのは何ページ目?」と伊勢崎。
「八ページ目です」
「まさにいま、その背景を描こうとしてまぁす」
 平林が答えたあと、松屋が言った。アフロヘアとアニメ声のギャップも凄いが、話し方もだいぶアニメのキャラっぽい。
「おなじ商店街でも、ひとは溢れてなくてもいいわ。正反対にすっかり寂れて、ひとっこひとりいないシャッター街に変更してください」
「わかりましたぁ」松屋がアニメ声で答える。「それならラクチンでぇす」
「窃盗犯が逃げこんだお好み焼き屋は、店内をガラガラにして、人質になる女とそのカレシだけにするっていうのは、どうかしら?」伊勢崎の提案にだれからも異議はでない。賛成したのとはちがう。他に{術‖すべ}がないので、納得せざるを得ないのかもしれない。「他にまだ時間がかかりそうなところありますか」
「時間がかかるどうこうではなくて、ひとつ大きな問題があるんですが」平林が躊躇いがちに口を開く。「穴守さんがいなくて、いちばん困るのが料理でして」
「あぁあ」伊勢崎は落胆の声を漏らす。「前回の餃子はちょっとアレでしたもんねぇ」
「すみません」平林が詫びる。「精一杯頑張ってはみたのですが」
 ふたりの話を聞き、宏彦はメジャーズ最新号で読んだチューボー刑事を思いだした。たしかにあの餃子はヒドかった。だがそれよりも気になることがある。あのナメクジ餃子を平林が描いたのならばだ。前回も〓切間際に、穴守大地は逃げだしたのか。
「その前のスープカレーもヒドかった」ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、吉野が言った。「ネットでめちゃくちゃ叩かれてたの、伊勢崎さんも読んだっしょ?」
「だったら今回、きみが料理を描いたらどう?」
 伊勢崎が鋭い声で切り返す。しかし吉野は悪びれる様子もなく、にやつきながら答えた。
「無理言わないでくださいよ。俺に画力がないのは、伊勢崎さんもよくご存じでしょうが」
 嫌味や皮肉を口にして、まわりのやる気を削いでいく。それが人生の喜びと感じる腐った輩らだ。クラスにひとりかふたりは、必ずいたものだった。学校だったら殴らずとも、ガタガタ言うなと一喝しているところだが、いまはそうもいかない。
「松屋さんは?」
「あたし、駄目だったんですぅ。ごめんなさぁい」
「駄目だったってどういうこと?」
「松屋も前回、餃子描いているんです」伊勢崎の問いに、平林が答えた。「出来がいいほうを使うことになりまして、それでまあ、俺のが」
 ナメクジ餃子よりもヒドかったわけか。
「広島風お好み焼きだと中に焼きそばが入ってるから、描くの大変よね」伊勢崎が首を傾げる。「ふつうのお好み焼きにしたほうが、手間もかからないからそうしましょうか」
「そりゃできませんって。だってそうでしょ。チューボー刑事は窃盗犯に自首するよう説得しているうちに、彼のアクセントが広島なまりだと気づいて、その場でお好み焼きをつくるんですよ。広島風じゃなくちゃ意味ありませんってば」
 吉野の指摘どおりなのだろう。それでも揚げ足取りにしか聞こえず、宏彦は不愉快極まりなかった。
「広島風お好み焼きをつくる手順で、四ページつかっているんスからね。チューボー刑事のいちばんの見せ場でもあるその部分を、いまからつくり変えるとなると、却って面倒なことになりますよ。明日の朝七時の締切に間に合わないかも」
「あの」吉野の言葉を遮るように、宏彦は手を挙げた。
「なに? トイレか」早合点をしたうえに、平林はその場所まで教えようとした。「だったらさっき通ってきた廊下の途中に」
「ちがいます。俺があの、描きます」
 その一言にみんなの目が宏彦に集中する。
 ごくり。
 宏彦は唾を飲みこみ、先をつづけた。
「広島風お好み焼き。ぜひその、描かせてください。お願いします」(つづく)

*   *   *

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山本幸久

1966年東京都生まれ。中央大学卒業。編集プロダクションに勤務し、大手出版社の漫画雑誌編集部に出向。 2003年「アカコとヒトミと」(後に『笑う招き猫』に改題)で第16回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。『凸凹デイズ』『幸福ロケット』『ある日、アヒルバス』『店長がいっぱい』など著書多数。

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