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ウチのセンセーは、今日も失踪中

2018.03.21 公開 ポスト

痛快お仕事エンタメ『ウチのセンセーは、今日も失踪中』 その5

兄ちゃんの漫画を読んでワクワクしたいの!山本幸久

「この連載、落としちゃダメだ!」漫画家、編集者、アシスタントが奮闘する、痛快で沁みる、お仕事エンタメ『ウチのセンセーは、今日も失踪中』から試し読みをお届けします。

*   *   *

 少しの沈黙のあとだ。
「お願いされてもなぁ」
 ぼやくように言ったのは平林だ。あまりいい顔はしていない。そこまで任せられないということらしい。
 駄目か。
 諦めかけていると、意外な人物が後押しをしてくれた。吉野だ。
「描かせてやったら?」
 いや、後押しなどではない。どうせ描けっこない、恥をかかせてやれとでも思っているにちがいない。その気持ちがまんま、吉野の顔にでていた。
「まずは鉛筆での下描きを見て、その出来次第で判断するっていうのは?」伊勢崎が提案する。「自分から言いだしたんだもの、そんだけ自信があるのよね、豊泉くん?」
「それは、まあ、ええ」
 描ける自信などない。漫画で食事の場面を描いたことはないし、料理漫画をあまり読んだこともなかった。さらに言えば、広島風お好み焼きを食べたこともなかった。ないないづくしで、よくもまあ、描かせてくださいなどと言えたものだ。
 後先考えずに行動するのは、宏彦の人生でときどきあることだった。だれかが困っていたり、助けを求めていたりすれば尚更である。自分の技量を考えずに、一肌脱ごうとしてしまうのだ。うまくいけばいいが、失敗して取り返しのつかない大事になったこともあった。
「三十分、時間をやる。そのあいだに鉛筆で広島風お好み焼きを描いてみてくれ」平林が言った。そして机の引きだしから原稿用紙を一枚だすと、その下半分に鉛筆で軽く丸を描く。「おっきさはこんなもん」
 デカいな。
 宏彦はその原稿用紙を受け取る。右端に薄く青い文字で『メジャーズ』とプリントされている。
「なんでここに広島風お好み焼きがでてくるかを、説明しておくとな。さっき吉野が話していたとおり、チューボー刑事は窃盗犯に自首するよう説得しているうちに、そのアクセントが広島なまりだと気づき、その場で広島風お好み焼きをつくりだす。そして一口食べさせるや否や、窃盗犯の脳裏に郷里である広島の風景が広がり、ハラハラと涙を流したかと思うと、人質の女の喉元に突きつけたナイフを床に落とし、自らの悪事を省みて、自首を決意して、チューボー刑事に連行されていくんだ」
 なるほどとは納得し難い無茶な展開だ。そもそも広島生まれの窃盗犯が、お好み焼き屋に逃げこむ時点で、ご都合主義も甚だしい。でもそれをいま、ここで指摘しても意味がない。
「松屋ぁ。おまえが撮ってきた、広島風お好み焼きの写真、この子に渡してやってくれ」
「はぁぁい」松屋が三十枚はあるだろう、写真の束を持ってきた。「頑張ってねぇ」
「は、はい」突然、励まされ、戸惑いながらも宏彦は受け取る。
「伊勢崎さん、この子の下描きができるまでいらっしゃいますか」
「待たせてもらおっかな」平林に答えつつ、伊勢崎は空いてる席に腰を下ろした。宏彦の左隣だ。「そのあとに穴守さんがいきそうなとこ、バイクで巡ってくるわ」
「それって呑み屋ッスよね」吉野が言った。「だったら見つけても意味ないでしょ。あのひと、呑んでたら使いものになりませんもん」
「とやかく言ってないで、手ぇ動かせ、吉野っ」
 松屋はヘッドホンをかけて、作業をはじめている。吉野もそれに倣った。
 
 ヤバいぞ、ヤバい。
 危うく声にだしそうになり、宏彦は左手で口を塞いだ。制限時間三十分と平林に言われたが、十分が過ぎてしまった。内心、穏やかではない。焦りに焦っている。
 松屋から預かった三十枚以上の写真を机に並べ、数枚をチョイスし、それを見ながらひとまず描いてみた。しかし三分の一も描かないうちに、手が止まってしまったのである。
 よくは描けているとは自分でも思う。でもちっともうまそうに見えないのだ。写真を見て描きましたというのが、バレバレでもあった。これだったら写真を貼りつけるのと変わらない。
「どうした?」平林が声をかけてくる。ただし絵を描く手は止めず、宏彦のほうを見ようともしなかった。「もうギブかい?」
「いえ」
「あと十七分四十秒だぜ」
 やけに細かいが、これは平林が自分のスマートフォンを、タイマー設定にしていたのだ。
「それだけあればじゅうぶんです」
 ワクワクさせて。
 妹の美和が励ますように言ったのは、今年のアタマだった。宏彦はまだ高校生で、冬休みの最中だった。
 あたし、兄ちゃんの漫画を読んでワクワクしたいの。
 その言葉をきっかけに、宏彦はBBへ持ち込むための漫画を描いたのだ。
 鉛筆を置き、消しゴムを握ると、三分の一まで仕上がっていた広島風お好み焼きを丁寧に消していく。
「間に合わないわよ」今度は伊勢崎だ。
「だいじょうぶです」
 無茶でご都合主義な展開を、読者に納得させるためには、それだけの広島風お好み焼きを描かねばならない。見るからにうまそうで、じゅうじゅうと焼く音までが聞こえてくるような、口の中がヤケドしてしまうかもしれない、それでも熱々のうちに食べてしまいたい、広島風お好み焼きだ。
 薄い生地の下にある焼きそばは、ボリュームたっぷりのほうがいい。そう見せるには麺を太めにして、生地からはみでているくらいの勢いにすべきだ。だとしたら斜め上からの視線で、なおかつできるだけヨリで描くのが最適だろう。パースが狂ってもかまわない。デフォルメを効かせ、よりうまそうに見せることのほうが重要だ。あまり描きこみすぎないほうがいい。ぜんたいが黒くなったら、不味そうに見えかねない。湯気を立たせ、鉄板の上を弾け飛ぶ小さな油も描くとしよう。
 原稿用紙を持ちあげ、ほとんど縦にして、消しゴムのカスを払い、机に置きなおす。写真を端に追いやってから、右手に鉛筆を握りしめ、ふたたび真っ白になった原稿用紙とむきあう。そこには自分が描くべき広島風お好み焼きが、うっすらと浮かびあがっているように見えた。それをなぞっていけば、いいだけの話だ。宏彦は鉛筆を自在に走らせ、一気呵成に描きあげていく。
 平林の机の上で、スマートフォンが音を立てる。三十分が経ったのだ。
「できたかい」
「はい」と答えて渡す。
 平林は宏彦の描いた下描きを、じっと見つめた。なにか言われるかと身構えていたものの、無言のまま目の前に座る吉野に差しだす。
 ヘッドホンを外し、吉野は宏彦の絵を受け取ったものの、チラッと見ただけで、松屋に回してしまう。
「やだ、ちょっとなにこれ、めっちゃうまいじゃないですかぁ」一目見るなり、松屋が叫ぶ。「広島風お好み焼きが、俺のことを食いたいなら食ってみろって、挑発してる感じがサァイコォォ。グッジョブグッジョブ」
「いくら鉛筆でうまくたって、ペン入れてみなきゃ、わかんねぇだろ」
 冷ややかな口ぶりで吉野が言う。鉛筆でうまいのは認めてくれたわけだ。
「合格ってことでいいかしら、ヒラリンさん。いまどきこんだけ描けるアシスタントなんて、そうはいないわよ」
 松屋から受け取った下描きを見つつ、伊勢崎はあたかも自分の手柄のごとく言った。
「ここは入りたてだと、二泊三日で三万五千円もらえる。きみは半日ちょっとだから一万円」平林はいきなり金の話をしだした。「プラス広島風お好み焼きに二千円だそう。それでいいかな?」
「ありがとうございます」(つづきは文庫で!)

*   *   *

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山本幸久

1966年東京都生まれ。中央大学卒業。編集プロダクションに勤務し、大手出版社の漫画雑誌編集部に出向。 2003年「アカコとヒトミと」(後に『笑う招き猫』に改題)で第16回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。『凸凹デイズ』『幸福ロケット』『ある日、アヒルバス』『店長がいっぱい』など著書多数。

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