「冨嶽三十六景」「神奈川沖浪裏」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、ジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』で大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞した、気鋭のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。(前回まではこちらから)
印税は職人には無縁だった
そもそも浮世絵は、版下絵を描く絵師、それを版木に彫る彫師、摺る摺師の三職人の共同作業だ。その職人をまとめるのは版元となる地本問屋。彼らは手工業の職人たちを資本力で抑えていたから、職人の仕事の実入りは知れたものだった。職人は問屋(版元)から指名がかからないと仕事にありつけない。仕事にはありつけても、版下絵を問屋に収めてしまえば仕事は終了。初版の版下代が支払われれば、あとはそれが人気になろうが何摺りになろうが収入には繋がらない。彫師も摺師も同じこと。取っ払いの日雇い仕事と変わらなかった。
同じ時代に生きた十返舎一九は「かせげ唯だ小刀細工ながらにも、黄金掘り出す版木師の技」と歌っているが、摺れば太るのは問屋の懐ばかり。「印税」は職人には無縁だった。
ちなみにのちに北斎が70歳になって描いた「冨嶽三十六景」の中の「神奈川沖波裏」は、増刷に増刷を重ねて約8000枚摺られたと言われている。「北斎漫画」も好評で、北斎の死後も出版されている。ところが北斎への実入りはいずれも初版一枚数百文の「版下絵代」のみ。江戸時代の平均貨幣価値は一文=16.5円だから、浮世絵一枚で3000円~6000円程度だったのではないか。
とはいえ、絵師になる前の10代で「彫師」を経験したのはのちの北斎にとって貴重な経験だった。1960年代に活躍した浮世絵評論家・尾崎周道は「北斎~ある画狂老人の生涯」にこう記している。
「後年の北斎の手簡をみると、彫師に対してはその彫法の細部に渡る指示を与え、摺師に対しては絵具調合についてコツを伝えているものがある。それは慎重で親切をきわめたものだ。それも彫師の世界をくぐった経験からくるものだろう」
感受性豊かな10代のころに貸本屋や彫師の徒弟として絵と文字を身近にしたことが、のちの北斎には大きな意味を持っていたのだ。
19歳になるころ、鉄蔵(のちの北斎)は絵師になることを心に決める。この頃爛熟した江戸社会は下級武士、学者、富裕な商人が文化の中心に躍り出て、民衆もまたこの潮流に参加する勢いがあった。
鉄蔵は得意の画力を生かしてこの流れに未来を賭け、「歌舞伎役者似顔絵の名人」といわれた浮世絵界の巨匠の一人、勝川春章の弟子となる。この時春章53歳。絵の技術も人柄も円熟期にあったという。北斎は春章から写実的な描き方、人間の動作を見抜く眼、そしてひたすら絵を愛する精神を学んだと言われる。あたかも痩せた大地が時ならぬ雨水を無尽に吸い込むかの如く、鉄蔵は春章の全てを吸収していった。1年後、勝川を名乗ることを許され、春章の別号である「旭朗井」から一文字とった「春朗」の名をもらったことからも、師匠春章の期待が伺える。
だが春朗を名乗ったころから、のちに北斎となる若者の絵師としての蛇行が始まる。その蛇行の数だけ技を身につける精神的なしなやかさと強靱さを持っていたことが、のちの北斎を生む。それは以降の歴史が証明するところだ。
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次回は3月31日公開予定です。
知られざる北斎
「冨嶽三十六景」「神奈川沖浪裏」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、今もつづくジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』で第45回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した稀代のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。
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