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漫画の仕事

2018.04.03 公開 ポスト

荒川弘、いくえみ綾、海野つなみ、冬目景――彼女たち4人の漫画家が語る「伝える」ということ。木村俊介(インタビュアー)

少年誌・青年誌・女性誌において読者の心を刺激し続けている4人の女性漫画家のロングインタビューが収録された『漫画の仕事』(幻冬舎コミックス刊)が絶賛発売中。
彼女たちが常に考え続けている《伝える》ということの原点、制作過程、思考方法など、普段あまり語られることのない部分をインタビュアー・木村俊介が深く聞き出した一冊です。
今回は、その中から〈いくえみ綾「妄想を練るものが漫画」〉の一部を少しだけご紹介します。

いくえみ綾「妄想を練るものが漫画」

「漫画の物語は、コマによって、何かを『切り取る』ものなのかもしれません。

社会で起きるかもしれないことを『切り取る』『拾っていく』ことはできます。

すべてを描ききるなら、いつかはボロが出るかもしれません。

でも、漫画では、コマの中に『拾う』ことで、最小限の要素で社会を表現することになるんです。

私にとって物語は妄想ですが、妄想は、練ることによって物語になっていきます。

何でネームを作るのかと言えば、きっと、その『練ること』をやるためですよね。

前にもあった、今までに読んだことのある話を描いただけ、にならないためにも、あとひとひねり、と練っていくわけです。

練る中で、過去に描かれたものよりも、ここでは冒険していく、というようなところが出てくる……。

そうやって、目の前に記したものに対して、簡単に満足しないでネームを考えていけば、わかることもあるわけです。

描かなくてもいいセリフは、実はかなり多い、とか」

十四歳のデビューからずっと、苦労も休養もなく、漫画を描いてきて

 小さい頃から、本当に漫画が好きでした。それで漫画ばかりを描いてきて、そのまま、今まで来ている、という感じなんです。

 中学生の頃にデビューをして、高校生の頃には連載がはじまりました。そこからは、「わりと長めに休んだ」と言っても、二~三ヵ月ぐらいですね。

 デビューから数十年間、基本的には、作品を発表する間隔が空いたという期間はほとんどなくて、漫画を描き続けてきたわけです。

 それでも、自分としては、「凄く頑張ってそうしている」という感じでもないんです。漫画を描くことは、私自身にとってはごく自然だった、というのか……。作業そのものは、地味なもので、人前に出る緊張感がある仕事でもないですからね。

 ずっと、生まれ故郷の北海道に住みながら、こつこつ、部屋で漫画を描き続けている、という。街に出てきても、人から「いくえみ綾」だ、と「ばれる」ことはありません。

 ある時期には、写真が公開された機会もあったんです。すると、思ったよりも、街で声をかけられてしまうということに気がつきました。

 それは、私にとっては嬉しいことではなかったので、その後は、私にまつわる写真や映像などは、非公表ということで来ています。私の姿は、漫画の「あとがき」などで、自画像として出てくるぐらいでしょう。

 姉が買ってくる漫画を読んで、自分も漫画を描くようになっていきました。それが、漫画に関わるはじめの頃の記憶です。

 姉も、よく漫画の絵を描いていましたね。姉妹で見せ合っていたという記憶があります。姉と私と、どちらの絵がうまかったかと訊かれたら、それはまぁ、私のほうですが……。

 そこは、のちのち、ずっと漫画家を続けることになるような人間ですから。ほかのことは何もしないで、絵ばかりを描いていたぶんだけ、当たり前のようにうまくなっていった、という気がしています。

 子どもの頃には、もう、「白い紙があれば、そこには漫画の絵を描きたい」というばかりですよね。それが、何よりの「遊び」。

 画用紙などの「いい紙」に描くのも、楽しかった。だから、いつでもそうしたくもなるんですが、いい画用紙をすぐに使いきってしまうと、親から注意されてしまいます。それで、見つからないように隠しながら、画用紙に描いてみたりもしていた気がしますね。

 そんなふうに、漫画の絵を描くというのは、私にとっては、当時から、「親の目から隠れてでも、やりたいこと」でした。

 ただただ、描きたい。漫画を描いていれば幸せ。

 机に向かったら、まず、ほかのことは何もしないで漫画ばかりを描いていたんです。よく机に向かう子どもではありましたが、勉強なんて、ほとんどしなかったような気がします。

 そこまで漫画に夢中になること自体を、「おかしい」とは思っていませんでした。逆に、「何でみんなは、漫画を描かないのかなぁ……?」と感じていたぐらいでしたから。「不思議だなぁ、漫画を描かないで生きていられるなんて……」というように、ほかの子どもたちのほうが「へん」だとも思っていたんです。

 十四歳の頃に、「別冊マーガレット」に掲載された「マギー」という作品でデビューしました。その漫画が、男の子の視点による物語(一家心中の後、生き残った少女に対して、少年が話しかけてはじまる)だったように、当時に描いていたのは、いわゆる普通の学園漫画や恋愛漫画ではなかったんです。

 そういった王道の漫画を描くようになったのは、少女漫画誌に投稿しはじめてからです。その時点から、中学生の恋愛ものに挑戦してみたのですが、その前まで、個人的には恋愛ものを描いたことはなかったように思います。

 これまで、漫画を描いてきた中では、ほとんど、苦労らしい苦労もしてきていないような気がします。最初の担当編集者さんも、本当に好きなように描かせてくれましたし。

 私は、漫画そのものはよく読んでいたんです。しかし、この業界のあり方については、それほど知りたいとも思っていなかったようなところがありました。

 だから、仕事をはじめても、しばらくは、漫画誌における読者アンケートの存在も知らないままで、読み切りや連載を描き続けていたんですよね。

 つまり、雑誌に掲載された漫画の中から、読者の人気によって「ふるいにかけられる」というような、そんな厳しい世界だとは思わないままで、漫画を描いていたんです。

 たまには、担当さんから「こういうところが本当に良かった」などというような、編集さん以外からの掲載後の感想も伝えられたんです。でも、それは、担当さんの周囲におられる知り合いの方たちが読んでくださった声なんだ、と思い込んでいました。

 今考えてみれば、なぜ、知るタイミングがなかったのかとも思うんです。でも、デビューして三年や四年ほどは、本当にアンケートというものの存在を知らないままでした。

 だから、漫画を描くことは、やっぱり、ただただ、楽しくて幸せなことでした。

 つまり、プロでありながらも、プロではないというような……。そういう姿勢が、私にとっては「仕事」の原点になっています。だから、今も、漫画のことしか知らないからなぁ、という感じで、好きだから描いているところがあるんです。

 のちに、知り合いの漫画家さんの話などを聞いたりするようになると、新人さんって、かなりきつい目に遭う場合も多いようなんですよね。

 担当さんに、振り回される。担当さんが違う人になったら、それはそれで、どんな漫画が良くて、どんな漫画が悪いか、言われる内容がまた違ってしまう、などという……。

 それで、好きなものが描けなくなる。そういうやりとりもあるようなんです。漫画家と編集者をめぐるそうした現実については、もちろん、「そうなんだ、かわいそうに」とは感じます。ただ、私には、たまたま、そういうことがなかった。

 漫画の雑誌には、アンケートというものがあるんだ、と知ってからは、何となく、少しは意識するようになった気もします。そのぐらいの時期から、周りの人たちも、そのことについてあれこれおっしゃるようになりましたからね。

 それでも、アンケートの結果を細かく訊いたりすることは、ないままですね。今もそうです。だから、基本的にはやはり、マイペースを保って、楽観的な姿勢で描いてきているほうだとは思います。

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木村俊介 インタビュアー

1977年、東京都生まれ。

・単著
「漫画編集者」(フィルムアート社)、「料理の旅人」(リトルモア)、「仕事の話」(文藝春秋)、「善き書店員」(ミシマ社)、ほか。

・聞き書き
「調理場という戦場」(「ほぼ日ブックス」のちに幻冬舎文庫)、「西尾維新対談集 本題」(講談社)、「デザインの仕事〈寄藤文平〉」(講談社)など。

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