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いま気になること

2018.07.19 公開 ポスト

スティーヴ・ジョブズを凌いで、全米第1位に選ばれたスピーチを知っていますか?大槻慎二

 7月20日、文庫本サイズのハードカバー、白い表紙に水色の帯、見るだけでスッと涼しくなる一冊の本が発売になります。
『これは水です』という、ちょっと謎めいたタイトル。文芸の名編集者・大槻慎二さんが社主・編集者を務める、田畑書店という出版社からの刊行です。
 どこでこの作品に出会ったのか、なぜこの本を出そうと思ったのか、大槻さんにご寄稿いただきました。

46歳で自ら命を絶ったポストモダン文学の旗手

 アメリカの大学には、卒業式に学外の人間を招き学生たちに向けて演説をしてもらう「コメンスメント・スピーチ」という習慣がある。有名なところではスティーヴ・ジョブズがスタンフォード大学で行なった「ハングリーのまま、愚直なままでいよう(Stay hungry, Stay foolish)」がある。同じIT業界ではビル・ゲイツ、俳優ではメリル・ストリープやデンゼル・ワシントンなどのものも名高い。

 ところが2010年のタイム誌でそれらをおさえ、歴代コメンスメント・スピーチのベストワンに選ばれたのは、デヴィッド・フォスター・ウォレスという作家のものだった。演題は「これは水です」。スティーヴ・ジョブズのスピーチと同じ2005年に、ケニオン大学で行なわれた。

 この作家、日本ではあまり知名度は高くないが(翻訳されている小説は『ヴィトゲンシュタインの箒』という一作のみ)、アメリカではポストモダン文学の旗手として知られている。評論を書けば数理論理学からヒップホップまで縦横に論じる博識多才が魅力で、若者を中心にカルト的な人気を誇る。

 ウォレスは、ケニオン大学で演説した3年後、46歳の若さで自ら生命を断ってしまう。その悲劇性がスピーチを際立たせている側面も否めないが、「これは水です」においてウォレスの言葉の持つ力は半端でない。

 たとえばこのスピーチを素材にある広告代理店が作ったイメージビデオは、リリースからわずか1週間でページ・ビュー500万を超えるという快挙を果たした。これはのちに著作権者の要請で削除されたが、担当者がイメージビデオを作った動機は商業的な意図によるのではなく、ただただウォレスの言葉に感動したからだという。

 また「これは水です」というワードでネット検索をかけると、自分のブログで私訳を試みている人たちがかなりの数いる。日本においてもウォレスのこの演説の存在は静かに広まっていた。

 そしてこのたび、「これは水です」の完訳が、同名の書籍『これは水です』として、私が社主を務める田畑書店から刊行された。

 訳者は阿部重夫さん。月刊誌「FACTA」の発行人としてジャーナリズムの最先端で活躍する傍ら、難解なフィリップ・K・ディックの非SF小説の翻訳者としても知られる、ウォレスばりの博覧強記の人である。
 
 ウォレスのスピーチのことは、ほかの企画の件で打ち合わせしている折に、阿部さんから教えてもらった。そして別れたあとも気持ちのどこかに引っかかっていて、さっそく原書を取り寄せてみた。拙い英語力でざっと目を通したところでも、ウォレスの言葉の持つ力は十分伝わってきた。

 阿部さんに「訳しませんか?」とメールをすると、「いいですよ。やりましょう」と即、返事が返ってきた。
 とはいえ本業で超多忙な方である。数カ月後くらいに原稿ができてくればいいな、と思っていたら、なんと1週間ほどで翻訳が上がってきた。そして一読、さらに魅了されてしまった。

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大槻慎二

1961年、長野県生まれ。名古屋大学文学部仏文科卒。福武書店(現ベネッセコーポレーション)で文芸雑誌「海燕」や文芸書の編集に携わった後、朝日新聞社に入社。出版局(のち朝日新聞出版)にて、「一冊の本」、「小説トリッパー」、朝日文庫の編集長を務める。2011年に退社し、現在、田畑書店社主。大阪芸術大学、奈良大学で、出版・編集と創作の講座を持つ。フリーで書籍の企画・編集も手がける。

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