友人の多寡より大事なもの
「僕は人間不信でした。でも、人間が書いた小説に救われている自分を発見したんです」
中村さんが求めていた「救い」をもたらしてくれたのは小説であり、その小説を書いているのは、中村さんが不信を抱いていた「人間」だった。つまり、中村さんは「人間」に救われていた――この発見は、大きかった。「小説を読む」という行為が「趣味」というレベルを超え、中村さんの精神の真ん中に居座るようになった。
「少し大げさに言うと、僕は世界を肯定しようと思ったときに、まず小説を肯定するところから始めたんです。色々な世界に背を向けていた当時の僕ですが、小説に対してだけは真正面から向き合うことができた。ますます『読む』ことに熱中するようになりました。今振り返ると、孤独ではありましたが、その日々はすごく充実していたと思います。僕は、友人が多かろうが少なかろうがどっちでもいいと思っているんです。良い体験ができればそれでよくて、僕にとってはそれが読書だったんです」
中村さんの小説には無駄な言葉がない。推敲を重ねる過程で言葉は削ぎ落とされていき、本当に必要な言葉だけが残る。研ぎ澄まされた文体は、それでいて決して冷たくはない。読み手の内面に浸透し、化学反応を起こす言葉の数々。それを生み出す感性は、小説を読むことで「良い体験」を積み重ねていったこの時代に培われたものなのだろう。
「人間の内面を表現する手段として、僕は小説が最強だと思っているんです。人間の内面をこれでもかこれでもかと掘り下げていく行為には、言葉が必要なんです」
「読む毎日」を過ごしていた中村さんだが、自分が書く側になるという意識はあまりなかったのだという。「読む」と「書く」は近いようでいて、大きな溝がある。中村さんがその溝を渡るきっかけは何だったのだろうか。
「自分の悩みを文章で書いていたんです。日記のような、日記じゃないようなものなんですけど、それが小説のような形になることがありました。僕は福島の大学に通ったのですが、就職しなければならない時期になり、悩みました。そのとき『これだけ小説が好きなのだから、一回本気で小説を書いてみよう』と思ったんです」
書き上げた作品は、どこにも応募しなかった。言わば、自分のためだけに書かれた作品。今の中村さんからしたら稚拙な作品ではあったのだろう。内容を聞いても教えてはくれなかった。だが、自らの原点に思いを馳せる表情でこう言った。
「そのときに初めてちゃんと小説を書いたわけですが……とてもしっくりきたんです、書くことが」
読むだけの日々が終わりを告げようとしていた。だが、「書く」ことを人生の中心に据える日々は決して平坦ではなかった。(最終回に続く)
(構成:編集部)
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