「困ったときには私に会いに来てもいい。そのときは裁判官として、できるだけのことをします」――。
情をまじえず、客観的な証拠にもとづいて判決をくだすのが裁判官の仕事。どこか冷徹なイメージを感じている方も多いでしょう。しかし彼らも人の子。冒頭のような人情味あふれる言葉を、被告人にかけることもあるのです。
『裁判官の人情お言葉集』は、そんな裁判官の心あたたまる発言とエピソードを集めた「涙のお言葉集」。その中から一部をご紹介します。
地蔵に助けてもらいたいという気持ちはわからないでもないが、
普通の生活をして初めて救いがあります。
これから寒くなるので、冬の間は服役し、
よい気候となる来年の4月に再出発してください。
地蔵に供えられた賽銭540円を持ち去ったとして、窃盗の罪に問われた被告人に対して、懲役8カ月の実刑判決を言いわたして。(金沢簡裁・広田秀夫裁判官――1995年10月24日)
「540円」の賽銭泥棒
「お供え物のお下がりは誰でも食べていいという考えがあって、地蔵さんが助けてくれたと思っていた。罪の意識はない」……10年間にわたって職に就かず、直近の2年間は定まった住居もなかった被告人が法廷で語ったのは、あまりにも取って付けたような犯行動機。しかし、北風が吹き始める季節に裁判官が出した答えは、実刑判決でありながらも、柔らかな木漏れ日のような温情が込められていました。
人生の指針を失った迷える者に、心の拠り所を与え、欲望をうまくコントロールする術を伝授するのは、もともと宗教の役割だったように思います。それこそ、お賽銭の盗難被害を受けたお寺が、彼の悩みを聞き入れてもよかったように思いますが、難しかったのでしょうか。
住みかを失った場合の受け入れ施設として、たとえば女性には民間の「シェルター」、子どもには児童福祉施設などが備えられていますが、成人男性向けの同種の場は限られているのが現状。つまり大半がホームレスやネットカフェ難民とならざるをえない土壌ができあがっているわけです。
この判決で出されたような、懲役1年に満たない比較的軽い実刑(短期自由刑)は、他の服役者から悪い影響をもらうばかりで、立ち直りには逆効果だという考え方もあります。しかし、年度始めである「4月に再出発して」とのアドバイスは、妙に日本の風土と合っていて、更生への具体的なイメージを抱きやすく、なかなか心憎い説諭ではないかと私は思いますけれどね。
刑務所を出ても行くあてのない人々は、民間の更生保護施設(保護会)で、6カ月を期限に寝泊まりしながら、今後の職や部屋探しができるようにはなっています。ただ、期限を過ぎればホームレスになるしかないのでしょう。特に孤独な年配男性の場合、プライドの高さゆえか「税金で食わせてほしくない」「他人の手を煩わすのを潔しとしない」などとヤセ我慢して、施設から抜け出し、また食うに困って盗み、捕まって、どんどん盗癖をこじらせてしまうような事件もみられます。
「盗み」がやめられない人たち
「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」と、石川五右衛門も詠んだように、現代も認知件数が最も多い刑法犯である窃盗。もちろん、裁判の数も多いわけです。
拝観料500円を払って寺に入り、500円を盗んで捕まった賽銭泥棒。何日もはきつづけた自分のパンツが汚れている現実に我慢できず、コンビニでトランクスと洗剤を万引きした男。身体が弱いうえに家族にも見放され、不安感の解消のために万引きを繰り返した主婦。彼女は「お守り」として、現金45万円を財布に入れて持ち歩いていたそうです。こういう裁判を目撃するたびに、盗まなくてもいいと思われるものを盗んでしまう理由について、傍聴席でいつも思い悩んでしまいます。
窃盗罪の法定刑は、懲役10年~罰金1万円ですが、過去10年間に盗みで懲役刑(6カ月以上)の判決を3回以上受けていれば、「常習累犯窃盗」という罪名(法定刑:最高で懲役20年、最低でも懲役3年)で立件されることがあります。こうなると執行猶予はほとんど付きません。
何度も同じことを繰り返してきた常習累犯窃盗罪の被告人は裁判慣れしていて、法廷でも緊張感がない場合が多くみられます。刑務所の外の世界に魅力を感じられなければ、懲役刑も効き目がなく、人生をやり直す意欲も湧いてこないのでしょうか。
検察官の求刑に「5年かよ」と文句をつけたり、「オレはもうダメだよ!」と自暴自棄になったり、「最近のクルマは、カギが頑丈になりましたねぇ」とボヤく車両盗がいたり。
ある弁護人は「あなたは昔、著名な俳句コンクールに1位で入選したことがあるんですか?」と被告人に質問し、入選作を一句詠ませ、「瑞々しい感性の持ち主なんですね」と結んでいらっしゃいました。それを見て、「あぁ、常習累犯窃盗は、弁護のやりようがないんだな」と、私は弁護人に同情してしまいました。盗みがクセになってしまっている人々に対しては、司法だけでなく行政府も本腰を入れたうえでの、抜本的な解決策が求められます。