「困ったときには私に会いに来てもいい。そのときは裁判官として、できるだけのことをします」――。
情をまじえず、客観的な証拠にもとづいて判決をくだすのが裁判官の仕事。どこか冷徹なイメージを感じている方も多いでしょう。しかし彼らも人の子。冒頭のような人情味あふれる言葉を、被告人にかけることもあるのです。
『裁判官の人情お言葉集』は、そんな裁判官の心あたたまる発言とエピソードを集めた「涙のお言葉集」。その中から一部をご紹介します。
本来は、実刑にすべき事件ですが、
奥さんたちが被害を弁償したことで、
君の良心を目覚めさせたのではないかと思います。
助けてくれた奥さんに応えなければ、君は男じゃないよ。
勤め先が倒産し生活費に追われたため、ひったくりを繰り返したとして、窃盗の罪に問われた被告人に対して、執行猶予付きの有罪判決を言いわたして。(大阪地裁・吉井広幸裁判官、当時40歳――1999年1月25日)
「毒にも薬にもならない裁判」でよいのか?
刑事裁判には「感銘力」なる言葉があります。法律のプロが立ち会い、世間の目もある公開法廷で裁判を受けるという体験そのものが、被告人の心に与えうる影響のことです。感銘力というものを疑っている専門家も少なくないようですね。裁判所は、法律に沿って粛々と結論を導いていればよく、あえて誰かに感銘を与える場を目指すなんて厚かましい、というようなご意見でしょうか。
もちろん、被告人の立ち直りについては、第一には刑務官や保護司といった方々の仕事です。しかし、裁判官だって被告人を立ち直らせる責任の一端を担っているものと信じます。たしかに、検察官が訴えるとおりの犯罪を被告人が行っていたのかどうか、どのような刑罰を科すべきか、その答えさえ出せば、刑事裁判官の職務は十分にまっとうされたといえるのかもしれません。まるで刑事手続きというベルトコンベアの上に載せて被告人を裁いていくかのような「毒にも薬にもならない裁判」で、本当に立ち直らせることができるのでしょうか。
裁判所で傍聴を繰り返していると、「被告人に説諭しない」のがポリシーである裁判官は、本当に多いのです。被告人に説諭して立ち直りの機会を与えても、逆に裁きっぱなしで放ったらかしにしても、どっちみち裁判官の身分には何の影響もないわけですから、仕方がない現状なのかもしれません。とはいえ、裁判官は法廷で直接に、被告人と対面しています。互いに顔を合わせ、話を交わした以上、そこには人と人との縁が生まれているはずです。
裁判官は、法廷で最も高いところに座っています。本来なら最初に「どうも、高いトコからすみません」なんて皆さんに挨拶しなければならないような位置ですよ。その法壇の高さは決して当然のものではありません。すべての国民から、罪の裁きを託されている象徴としての高さなのです。
はたして日本の裁判官は、その信託に十分に応えられているでしょうか。安心して暮らせる世の中の実現を願う、被害者をはじめとする私たちの祈りを少しでも感じながら、被告人と向き合うことができているでしょうか。
「裁判官」といっても千差万別
「女じゃないよ」じゃあ、しっくりこないから不思議です。こういう場面では「男じゃないよ」なのです。もし、子どもを持つ女性の被告人でしたら、「母親として恥ずかしいですよ」みたいなことを告げれば、彼女の心にズキッとくるかもしれませんけどね。
吉井裁判官の前では、どんなにケンカ腰で出廷してきた証人も、審理が進むにつれて態度が落ち着いていく印象を受けますね。事の重大さを理解していない被告人には「これは、あなたを刑務所へ送るかどうか決める裁判なんですよ」と、丁寧に言い聞かせるのです。
判決の後に、執行猶予の意味を説明するのは、どの裁判官も行っていますが、吉井判事はそれで終わらせません。「今回の判決は懲役何年でしたか?」「何年間の執行猶予ですか?」「執行猶予が取り消されると、どうなります?」と被告人に問いかけ、おさらいさせるのです。ここまで徹底した判決公判を初めて観ました。ただ単に、私が知らないだけかもしれません。
もっとも、被告人が立ち直ることに失敗したからといって、裁判官が何らかの責任を負わされるわけではありません。ただ、ご自分の担当した被告人が、再び犯罪に手を染めたと、仮に知ったときに、少なからずショックを受ける存在であっていただきたいのです。
裁判官の評価が、裁判の処理スピードだけで決められていいのでしょうか。たとえば、ある刑事裁判官が過去に担当してきた被告人たちは再び犯罪を起こす率が目に見えて低い、という結果が数値に出ていれば、その裁判官を人事面などで優遇する措置があってもいいだろうと思います。再犯が減れば減るほど、開廷スケジュールを有効に使えて、裁判所全体にメリットがありますし。
他の裁判官が裁いた事例と照らし合わせて、それらしい主文と判決理由をサクサク出力してりゃいいのなら、そう遠くない将来、裁判官の職務はコンピュータに取って代わられるのでは、と危ぶみますね。人が人と真剣に向き合う裁判が、これから末永く続いていくことを願います。