私は生まれも育ちも静岡県静岡市である。だから東京に住もうと思っても、あまりに都会が過ぎると、落ち着かなくて生きていられない。
夫に逃げられた後、静岡の実家で一年ほど、人生を休憩させてもらったら、お陰様で正気になってきたので、東京に戻ることにした。もう一人きりなのだから、好きなところに住めばいいのだと思った。
私が、子供の頃から、ここが私にとっての東京そのものだと思っていたのは、表参道と青山通りの四つ角だ。小さな頃から、学校がお休みになると母と私たち3人きょうだいは、母の実家に行った。母方の祖父母に会うのがとても楽しみだった。
祖父はいつも表参道の四つ角近くのアンデルセンで、全員の分、ビーフシチューをたのんだ。今はもうアンデルセンは閉店してしまったが、表参道の四つ角に立つと、アンデルセンのコックリした味のビーフシチューをみんなで食べた思い出と、まだ日曜日は歩行者天国だった表参道をスキップしながら、キディーランドに向かって下って行ったワクワクした気持ちを鮮やかに思い出す。もうとうの昔に祖父母はいないのに。
でも、しばらく表参道の四つ角に立っているとどうにも排気ガスの臭いが気になってたまらなくなるので、候補から外し、表参道と青山は思い出の中にしまっておくことにした。
東横沿線の日吉も友達が多いので考えたが、土地勘が全くないので心細くなると思ってやめた。鎌倉も考えたが、車の運転をしないので、没にした。
そして、結局、考えて考えて、長年、夫と暮らした自由が丘に戻って来てしまったのだ。
自由が丘は明るい。南口から出ると緑道があり、カップルが話しながらコーヒーを飲んだり、一人で本を読んでる人がいたりする。街角にも小さなコーヒー屋があって、横のベンチでのんびりお茶を楽しんでいる人がいる。土日は観光客で混んでいるが、平日は、のんびりした雰囲気だ。
うちにいるときには、「男はつらいよ」のDVDを小さな音でBGMにしているので、自由が丘に住んでいるのか、柴又に住んでいるのかわからなくなる時がある。
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さすらいの自由が丘
激しい離婚劇を繰り広げた著者(現在、休戦中)がひとりで戻ってきた自由が丘。田舎者を魅了してやまない町・自由が丘。「衾(ふすま)駅」と内定していた駅名が直前で「自由ヶ丘」となったこの町は、おひとりさまにも優しいロハス空間なのか?自由が丘に“憑かれた”女の徒然日記――。