東京大学教授・梶谷真司さんは、5~20人ぐらいが輪になって座り、ひとつのテーマについて話し合う「哲学対話」を、学校や企業、地域コミュニティで実践してきました。哲学対話を行う際に梶谷さんが掲げているルールは8つ。そのルールは、哲学対話を知らない人・やったことがない人にとっても、多くの示唆に富み、とても大事なことに気づかせてくれます――。『考えるとはどういうことか――0歳から100歳までの哲学入門』からお届けします。
* * *
至るところで働く「自由にものを言えなくさせる力」
一口に哲学対話と言っても、何に重点を置くか、何のために対話をするのかで、ルールも進行のしかたも違ってくるが、ここでは私がいつも掲げているルールをあげておこう。
(1)何を言ってもいい。
(2)人の言うことに対して否定的な態度をとらない。
(3)発言せず、ただ聞いているだけでもいい。
(4)お互いに問いかけるようにする。
(5)知識ではなく、自分の経験にそくして話す。
(6)話がまとまらなくてもいい。
(7)意見が変わってもいい。
(8)分からなくなってもいい。
これら8つの対話のルールのうちのいくつかは、他の話し合いやワークショップなどにもあるだろうし、はじめて見るものもあるだろう。だが、表面的に似ているように見えても、内実はかなり違っていて、これらが全体として 対話を哲学的な探究に変える。そこで以下、このルールの意味について説明しながら、哲学対話の特徴を詳しく見ていこう。
私が哲学対話でもっとも大切だと思っているのは、「自由に考えること」である。そうすることでこそ、対話は哲学的になると信じている。このことに比べれば、思考が論理的かどうか、首尾一貫しているかどうかなどは、さほど問題ではない。それは時に思考の幅を狭めてしまう。
ではどうすれば、思考は自由になるのか。
先に述べたように、哲学とは「問い、考え、語り、聞くこと」であるが、このうちとくに「問う」と「語る」からいかにして制約を取り払うかが重要である。私たちは自由に問い、語ることによって、はじめて自由に考えられるようになる。先の8つのルールは、すべてそのためにあると言っても過言ではない。
そこで最初のルールが、(1)の「何を言ってもいい」である。私たちは、何でも言っていいところでしか、自由にものを考えることはできない。
自由に考えるために特殊なルールに従わないといけないのは、矛盾していると思うかもしれない。しかし、日常生活の中で、私たちが何を言ってもいい場というのは、まったくと言っていいほど存在しない
もちろん何でもかんでも言いたい放題言っていいわけではない。そんなことをしていたら、世の中はメチャクチャになる――その場にふさわしいことを言う。発言には節度が必要で、言いたいことをむやみやたらに言ったりしない。話題にしろ言葉づかいにしろ、言うべきでないことはわきまえておかねばならない――程度の差こそあれ、これは社会の基本的なルールであり、それができるようになることが、社会性を身につけるということでもある。
だがそれでも、何を言ってもいい自由がないという事実には変わりない。世の中には、普通の状態では、自由にものを言えなくさせる力がいたるところで働いている。だから「何を言ってもいい」をはじめとする前述のような特殊なルールがなければ、そうした力を排除できず、考えるさいの自由は手に入れられないのだ。
次のページ:バカと思われたくない、無視されたくない……
考えるとはどういうことかの記事をもっと読む
考えるとはどういうことか
対話を通して哲学的思考を体験する試みとしていま注目の「哲学対話」。その実践からわかった、考えることの本質、生きているかぎり、いつでも誰にでも必要な哲学とは?