最近、私の中高の同級生の話題が、「介護について」になってきた。どの友人も顔を見れば、制服を着ていた姿をすぐに思い出すことができるのに、話題は義理の両親や自分の両親の話だ。
年取ったお姑さんと一緒に住んでいるJ子ちゃんは、お姑さんが、オムツをしているのに、オムツの内側にさらにトイレットペーパーを畳んで重ねて敷いてしまうので、局部にトイレットペーパーがこびりついてしまい、それを取るのが大変なのだそうだ。そして、お風呂に入ろうとすると、湯船にトイレットペーパーのかけらが浮いているのを見て、げんなりするのだそうだ。
ある時、お姑さんがトイレに行こうとして、廊下で転び、失禁し、娘が救急車を呼びに行き、夫がお姑さんを後ろから抱え、下半身にバスタオルをかけているその様子は、まさに「絶望」の二文字だったと言う。
J子ちゃんは、私たちと会うと、「あー、このメンバーでいると、無理して笑わなくてもいいから楽」と言う。まだ親の介護などしたことのない私は、J子ちゃんの話を聞き、介護の生々しさを感じた。
もう一人、自由が丘の近所に、同級生のY子ちゃんがいる。彼女も小学生の子供が2人いる上に、認知症のお舅さんがいる。そのY子が、「ちょっと、うちにおいでよ」と言うので、出かけて行った。
門のところで、ピンポンを押しても応答がないので、木戸をガラッと開け、玄関の横のピンポンも連打したが応答がない。何かあったのかと、勝手に玄関の扉を開け、「こんにちはー」と叫んだら、中から「こっちだよ」と低い声がした。玄関の近くのふすまをスッと開けると、電気もつけていない薄暗い畳の部屋で、Y子が二つ折にした座布団を枕にして寝ていた。
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さすらいの自由が丘
激しい離婚劇を繰り広げた著者(現在、休戦中)がひとりで戻ってきた自由が丘。田舎者を魅了してやまない町・自由が丘。「衾(ふすま)駅」と内定していた駅名が直前で「自由ヶ丘」となったこの町は、おひとりさまにも優しいロハス空間なのか?自由が丘に“憑かれた”女の徒然日記――。