「猿股(さるまた)」というものは、今もどこかに売っているのだろうか。ラクダ色でウエストにゴムのはいった、男の人のはくトランクスみたいなパンツだ。トランクスと決定的に違うのは、猿股はなんとなく全体的にビローンとした感じなのだ。
私は母方の祖父を思い出すとき、必ず猿股も一緒に思い出す。祖父は平野威馬雄(ひらのいまお)というフランス文学者で詩人だった。
祖父は、お風呂から上がると、猿股一枚で出てきて、入れ歯をちゃんと入れないで、前の方に出して、獅子舞のように入れ歯をパクパクさせ、目をひんむいて、両手を上げ、「スラバヤのキバルさんが、ワーデーワーデー」と大声を出しながら私たち三兄弟を追いかけまわした。あまりの恐怖に私は、おしっこをもらしそうだった。
「スラバヤのキバルさん云々」については、今でも意味不明だ。ただ、大人になってから、スラバヤという都市が本当にインドネシアにあるのを世界地図で発見し驚いた。
外出するときの祖父は恰好が良かった。千鳥格子(ちどりごうし)のズボンにエンブレムのついたブレザーをきて、ベレー帽を斜めにかぶっていた姿が今でも懐かしい。
祖父の家のお正月は華やかであった。今はもう見なくなってしまったが、烏帽子(えぼし)をかぶった三河万歳(みかわまんざい)の人が来たり、獅子舞が来て、笛の音に合わせて踊ったりしていた。
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さすらいの自由が丘
激しい離婚劇を繰り広げた著者(現在、休戦中)がひとりで戻ってきた自由が丘。田舎者を魅了してやまない町・自由が丘。「衾(ふすま)駅」と内定していた駅名が直前で「自由ヶ丘」となったこの町は、おひとりさまにも優しいロハス空間なのか?自由が丘に“憑かれた”女の徒然日記――。