自由が丘を歩いていると、セーラー服に物のよさそうな紺色のフェルトの帽子を被った少女がお母さんに手を引かれて歩くのを見かける。東京のいかにも山の手風の親子の姿がとても微笑ましく、受験勉強を頑張ったのだろうなと、思わず、立ち止まって後ろ姿を眺めてしまう。
私は、大学入学すると同時に、東京に住むようになったが、生まれも育ちも、静岡の下町だ。私の小さい頃は、夏の暑い日の夕方など、お風呂上りに、家の前に縁台(背もたれのない木のベンチのような椅子)を出し、夕涼みをしている人がいた。
隣のおじさんは、夏でなくても、年がら年中、裏通りに椅子をだして、行きかう人を見ていた。そのおじさんが病気になり、家で寝た切りになってしまった。私も、東京で浮気した夫と戦っていたら、またうつ病になってしまい、静岡の実家で寝たきりになってしまった。
私の実家近辺は、今はさびれたが、昔は賑やかな商店街でみな町家造(まちやづく)りだった。ウナギの寝床のような細長い土地に家が隙間なく建っている。そのため、両隣の音がよく聴こえる。隣のおじさんが、奥さんを呼ぼうとして「あー」と叫ぶと、将来を悲観した私が、「うー」と唸(うな)り、またおじさんが「ううー」と唸ると、私が、もう何もかもいやになって「ぎゃー」と叫ぶ。
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さすらいの自由が丘
激しい離婚劇を繰り広げた著者(現在、休戦中)がひとりで戻ってきた自由が丘。田舎者を魅了してやまない町・自由が丘。「衾(ふすま)駅」と内定していた駅名が直前で「自由ヶ丘」となったこの町は、おひとりさまにも優しいロハス空間なのか?自由が丘に“憑かれた”女の徒然日記――。