長い人間の歴史では「家業を継ぐ」がデフォルト
出口 人間の歴史を見てみると、ほとんどの人は家業を継いでいるんですよ。疑うこともなく、八百屋に生まれたら八百屋を継いでいる。20万年の人間の歴史からすると、そちらのほうが圧倒的に長い。
だから、地方で家業を継ぐのはかっこ悪いとかいう声もありますけど、そんなことはない。せっかくご縁があるんだから、チャレンジしてみようという風潮に変えなくてはいけませんね。他の人よりも発射台が高いだけラッキー……そのぐらいに思うリアリズムを持ってほしいですね。
実際のところは、家業を捨ててしまったほうが気楽な場合もあります。自分の好きなことができるわけだから。家業を継ぐとは、発射台が高いだけではなくて、そこで働いている人たちに責任を持つということですから、その点で、しんどいことであるのは、確かです。
でも、しんどいことにチャレンジしなければ、やっぱり社会ってよくならないんですよ。
山根 そうですね。
出口 僕の友達も、お父さんが急死されて、30歳くらいのときに家業を継ぎました。彼は会社員時代にとても仕事ができたので、部下をたくさん持っていたんですよね。彼の家業は、味噌とか醤油をつくっている小さなところで、社員は10人くらいでした。
だから、僕は、彼なら家業を継いでも充分やっていけると思っていたのですが、彼はこう言ったんですよ。「世の中には、自分で決めなきゃいけない人と、誰かに決めてもらえる人と、2種類しかいないんだ」と。
要は、大会社に勤めていたときのほうが、めちゃ楽やったと言うんですよね。予算は自由に使えるし、迷ったときは上司に丸投げすればいい。でも、社長になった今は逃げられない。こういう経験は、普通に会社勤めをしていたら、なかなかできないですよね。
山根 はい、まさにそうです。
僕は今、一般社団法人・ベンチャー型事業承継の顧問をやっています。アトツギ候補の若い人たちからは、後を継いだら会社をつぶしてしまうんじゃないか、そのプレッシャーに自分が耐えられるのか不安という声もよく聞きます。
出口 極端に言えば、うまくいかなかったら、別につぶしてもかまへんと思いますよ。マーケットの原理は弱肉強食で、弱いものは自然淘汰されていく。大企業だったら一生安泰かと言えば、そんなことはないわけですから。
それでも、社長になれるというチャンスがあるんだったら、経験しておいたほうがいいいと思います。人生の幸せは、喜怒哀楽の総量なので、人に使われているよりも、自分で後を継いだほうが、喜怒哀楽の総量は絶対大きくなります。人生が楽しくなりますよ。
おじいちゃん・おばあちゃんを10年肩車できる人いますか?
山根 やってみて思うのは、しんどいことも嬉しいことも、全部自分ゴトになるということです。
例えば、会社員の場合は、部下が大きな成果を上げると、それによって部の成績や自分の評価が上がるから嬉しい、という面が強いと思います。もちろん、部下の成長そのものが嬉しいということもあるでしょうけど。
でも社長の場合は、社員がやったことすべてが自分ゴトです。自分がどう評価されるかは、言ってみればどうでもよく、自分の会社で働くことで、人の人生を少し良いものにできたんじゃないかと思うのが、ものすごく嬉しいんです。
社長になって、評価軸が、人からどう見られるかではなくて、自分がどう感じるかというところに大きくシフトしたように感じますね。
出口 自分ゴトと他人ゴトとは、全然違うんですよね。
僕は、よく周りに、「おじいちゃん、おばあちゃんを大事にしたい人、ちょっと手を挙げて」聞きます。すると、みんな手を挙げるんですよね。ほとんど条件反射みたいに。
でも、今は、若者1.3人に1人、おじいちゃん、おばあちゃんがいる超高齢化社会ですよね。おじいちゃん、おばあちゃんが仕事を辞めるのが仮に70歳として、80数歳まで生きるので、10年肩車することになりますよね。そこで、「おじいちゃん、おばあちゃんを10年肩車しても平気な人、手を挙げて」と言うと、誰も手を挙げない。
山根 それ、同じことを聞いてますよね。
出口 そうなんです。一般論としては、おじいちゃん、おばあちゃんを大事にしたいとみんな思っているのですが、これは他人ゴトなんです。実際自分が10年背負うのかと考えたときに、初めて自分ゴトになるんですよ。
人間は、世の中のことのほとんどは他人ゴトなので、だからまぁ安心して生きられるわけですが。
ただ、トップになったら、全部、自分ゴトになるんですよね。密度が違います。だからこそ経営者って、面白い仕事だと思うんです。
その経営者に、普通はなかなかなれないのに、アトツギというのは、自分の気持ちひとつでなれるわけですから。逃げ出さないで頑張ってほしいと思いますね。
(構成 森本裕美)
*第3回に続く