すっかり観光地化されてしまった京都。しかし大通りから一歩、路地を入れば、そこには地元民だけが知っている「本当の京都」が広がっているという。小さな寺社や、昔からの言い伝えが残る不思議スポット、一子相伝の和菓子屋、舞妓さんが通う洋食屋、本当の京料理を出す和食店……。『京都の路地裏』には、こうしたレアな情報が盛りだくさん。本書に収録されたとっておき情報を、少しだけご紹介しましょう。
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「鐵輪の井」の不思議な伝説
都伝説はホノボノとした話だけではないわけで、寧ろ、おどろおどろしい話の方が多いくらいだ。その代表が鐵輪(かなわ)の井。
能の演目に〈鉄輪〉という話がある。舞台は洛北の山里にある貴船神社。
或る夜、貴船神社の社人にお告げがあった。丑の刻参りをする女に神託を伝えよ、というのだ。女は五条辺りからやって来ていて、自分を捨てて後妻を娶った夫に、報いを受けさせるため、遠い道のりをものともせず、夜な夜な貴船神社に詣でていた。
その女に社人は、三つの脚に火を灯した鉄輪を頭に載せ、「怒りの心を表せば、望みどおり鬼になる」と神託を告げた。
そうは言ったものの、社人は女と言葉を交わして遣り取りを続けるうち、だんだん怖くなって来る。
女が神託の通りにしようと言うと、たちまちのうちに女の様子は変わり、髪は逆立ち、夜空には雷鳴が轟き渡る。
驚いた社人は逃げ惑う。激しい雷雨のなか、女は恨みを思い知らせてやると言い捨てて、南の方へと駆け去って行った。
一方で、その女の元の夫は、毎夜悪夢にうなされ、当時有名な陰陽師として知られていた安倍晴明を訪ね、事情を話して相談する。晴明は、「先妻、すなわち丑の刻参りをしている女の呪いによって、ふたりの命は今夜で尽きる」と非情な見立てを元夫に告げる。
当然ながら元夫は、何とか生きながらえさせてくれるよう、晴明に懇願する。やむなく晴明は、元夫の家を訪れ、祈祷棚を設けて、夫婦の形代を載せて、呪いを肩代わりさせようと必死で祈祷を始める。
と、そこへ、あろうことか、脚に火を灯した鉄輪を頭に戴せ、鬼と化した女が現れる。鬼となった女は、捨てられた恨みをとうとうと述べ、男の形代に襲いかかろうとするが、神の力によって退けられ、逃げるようにして姿を消す。
同じ能の演目に〈葵上〉があり、似たような女性の嫉妬深さを描いてはいるが、そこはやはり源氏物語が本歌とあって、六条御息所には雅な風情が漂っている。それに比べて〈鉄輪〉の女性は実に怖い。
ここに来れば「縁切り」ができる?
また前置きが長くなってしまった。
五条通から堺町通を上り、万寿寺通を越えてしばらく行くと鍛冶屋町となり、左手に〈鉄輪跡〉と記された石碑が建っている。その奥に小さな門があり、〈鐵輪ノ井戸入口〉と書かれた札が下がっている。
民家にあるような引き戸を開け、狭い路地を奥に進むと、そこに小さな井戸がある。これが〈鐵輪の井〉。
丑の刻参りをしていた女は、この辺りから貴船神社へ通っていたという。距離でいくと十三キロあまり。女性の足だと三時間はゆうにかかる。つまりは往復六時間。毎夜それを繰り返したというのだから、なんとも凄まじい。女性の怨念の深さに驚くばかり。
晴明の力の前に逃げ帰った女は、この井戸に身を投げたと言われている。それ故この井戸は縁切り祈願に霊験あらたかと伝わり、遠くから水を汲みにくる人が絶えなかったそうだが、今は涸れてしまい、水を汲むことは出来ない。
その代わりなのだろうか、井戸の蓋の上にはペットボトルに入った水が置かれている。これは供えられたものもあるが、縁切りを願う人が置いたものもあり、ひと晩置いて、また取りに来るのだそうだ。縁切り井戸は決して過去の話ではない。井戸の横に建つ小さな祠に手を合わせる人は、何を祈っているのだろうか。他人事ながら、ちょっと身震いしてしまう。
鐵輪社の隣に祀られているのは、鍛冶屋町内の氏神である命婦稲荷社。昭和十年(一九三五年)にこれを再建するときに、土の中から『鉄輪塚』の碑が発掘され、鐵輪大明神として鐵輪社の小祠が祀られたのを創始としている。そのとき、土の中からいくつかの鐵輪が掘り出されたとも聞く。身に覚えのある向きは、早々に立ち去った方がよさそうだ。
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