黒装束で素早く動き、手裏剣で敵を撃退する……。「忍者」についてそんなイメージを持っていませんか? 実はこうしたイメージはすべてフィクションだったのです! 400年前の忍術書をひもとき、忍者の真の姿を浮かび上がらせたのが、忍者研究の第一人者、山田雄司氏の『忍者はすごかった』。現代を生きる私たちにも役立つ「忍者の教え」が満載のこの本より、一部を抜粋してご紹介します。
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日頃からネットワークを築いておく
大忍の大事。伊賀伝に曰く、忍びの勝を要せば、平日すべて諸国へ手寄りをわけ知音をこしらへて、万事通達自由になしをくべし。
──『用間加條伝目口義』
(大忍の大事ということについて。伊賀伝に曰く、「忍びの勝利を得ようとするのならば、常日頃から諸国に縁を作って知音をこしらえて、何事も連絡を速やかに行えるようにしておくのがよい」)
これに引き続き、次のように書かれています。
事が起きてから急に関係を持とうとしても難しい。普段から関係を築くには、詩歌・連歌・俳諧・茶の湯など遊芸の類などをしたりして、諸国に知己をこしらえ、自分の名を世間に知られるようにしておくのがよい。どのようなことであっても、その当時流行っていることを身につけておけば各地に通じやすい。
何かあってから情報を得るために奔走するのではなく、日頃から各所に知り合いを作っておけば、常に情報が入るし、何か起こったときにはその人物を頼って情報を得たり対策をとったりすることが可能となります。
現代社会では、メールやSNSなどを通じて、離れた人と容易に連絡をとることができます。こうしたところから、江戸時代と比べて得られる情報は圧倒的に多く、必要なときにはそれに適した人物を見つけることも容易ですが、そのためには日常からさまざまな交流をしておかなければなりません。
見ず知らずの人に対して、本当に親身になって答えてくれるかはわからず、やはり常日頃から胸襟を開いた関係を築いておくのが大切でしょう。
「芸は身を助ける」とのことわざもあるとおり、いい関係を築くためには共通の趣味を持つのがよいとされます。利害関係のないつきあいをすることは、さまざまな面で頼りとなるものです。
また、名前が知られるくらい有名になれば、名前によって物事が速やかに運べるようにもなります。ただし、逆に悪用されることもあるので気をつけなければなりません。
言葉と心を一体にして話す
言語心神一如の事。言うは世間の人言語心神一如ならざるのこと多し。よりて真に偽りを言わずとも、偽りのごとく先にも思い疑うなり。言わんと思うときは、言語心神一如にして言うべし。
──『当流奪口忍之巻註』
(言葉と心は一体である。世間の人は言葉と心が一体でないことが多い。よって本当に偽りを言わなくても、偽りのように相手は思い疑うのである。であるから、話すときは言葉と心を一つにして話すべきである)
さらに次のように書かれています。
心と言葉が離れてしまっていたら、話し続けることは難しく、戸惑ってしまうものである。忍びにはこの心が重要である。たとえ忍び込んで捕らわれたとしても、白状しないように決心すれば、言わずに済むものである。
『義盛百首』には、次のようにあります。
何事も心ひとつにきはまれり をのがこころにこころゆるすな
(何事も心一つと決心するのが大事である。自分の心に邪心が生じてはならない)
一度決めたなら、迷うことなく進むことが大事です。迷っていたらそこに隙が生じ、速やかに事を進めることができなくなってしまいます。
言葉と心とは一体であるので、人と話すときは、口先だけで話すのではなく、自分自身を表現しているのだと思って話すことが大切です。そうすれば、相手には誠実さが伝わり、事が順調に進行していくようになります。
陰口はいかなるときも慎む
人の中和し様の事。言うは影にてもその人の事悪く言わじと思えば、自然と中よくなるものなり。
──『当流奪口忍之巻註』
(人との仲をよくする方法。陰でもその人のことを悪く言わないようにしようと思えば、自然と仲よくなるものである)
さらに次のように記述されています。
右のように親子・妻などにもこれを用いたならば、無二の仲になるものだとある。
陰で悪口を言っていたのでは、それが回り回って相手に届くこともあるし、そうした態度は本人に会ったときに思わず出てしまうものです。ですから、普段から相手の悪口を言わないようにした方がよいわけです。他人はもちろんのこと、親子・妻であっても、陰で悪口を言ったりしなければ、それが態度に出て仲もよくなるものです。