「子どもを持って初めて成長できる」「子どもを持てば気持ちがわかるよ」など、経験至上主義的に語られがちな家族のこと。そして、その価値観を無自覚に押しつける空気。「結婚」と「出産」にまつわる社会の本音をあぶりだした、電子書籍『「結婚・妊娠・出産」って最後の宗教みたい』より、社会学者の永田夏来さんとphaさんの対談を抜粋してお届けします。
家族は基本しんどいと思う
永田 家から出て上京すること自体にすごく勇気がいる人もいっぱいいるでしょう? それが家族のちょっと怖いところで、家族って楽といっちゃ楽なんですよ。だって世の中が「家族ってこうですよ」って準備してくれているし、それに合わせて住宅も作られているしローンも作られているし、全部作られている。社会制度ってそういうものなので、だからいろいろ我慢して家族の中にいたら周りが全部やってくれる。
それでずっとやってきた人が「いや、でも居心地が悪いし、やーめた」と思うのって結構しんどいし、ましてそこからポンとシェアハウスに行くのってハードルが二つ三つぐらいあるのかなという気がするんですよね。
pha だから、実際周りにいるのは「家族がすごくひどい人」が多い気がしますね。そうすると耐えきれなくて家を出て行くけど、ちょっとしんどいぐらいだったら、「まあ我慢するか……」みたいなのがあるかもしれないです。
永田 家族は基本しんどいと思いますよ。うまくいっている人がテレビとかで取り上げられたりすると、「それじゃなきゃ駄目なんだ」みたいな気がするけど、家族って何十年も維持されるものだから、テレビで取り上げられる良い家族なんて、瞬間最大風速ですよ! いいときもある、でもずっとじゃない、と(笑)。よくなきゃ駄目だとか思うと、どんどん変な方向にいきますよ。
pha もっと「解散」しやすくしたい。家族から脱出しやすくしたいなというのはあって、シェアハウスがあることでそうなったらいいなという気持ちはあります。
永田 ハードルは一つはクリアになりますよね。敷金とか礼金とかないし、冷蔵庫を買ったりしなくていいから。
pha 一緒に住んでいるのはそういう感じで来た人が多いかな。
永田 ある程度の年齢になったら、別に親とかと一緒に住まなくていいと思いますけどね。いつまでも親子のまんま歳だけとって関係性が変わらないじゃないですか。うちの妹は私なんかと全然違って普通にライフコースを着々と歩んでいる人で、普通に結婚して普通に子どもも2人いるんだけど、うちの父親がそれを見て「俺、おじいちゃんなんだ」って急に自覚し始めて。家族の変化って人間関係を進めるっていうこともあるんですよね。
pha それはそれでいいのかもしれない。永田さんの著書『生涯未婚時代』の中にも、「子どもができると親も成長する」みたいな話はありましたよね。
永田 でも私、そのストーリー本当に嫌いなんです(笑)。
pha あるとは思うけど、なんか嫌ですね(笑)。
永田 否定はしないし、そういう人がいてもいいんだけど、「そうじゃないと未熟だ」みたいなことを言われると、「そうなの!?」って言いたくなるでしょ。私も結婚研究をしていてよく言われますよ。「永田さんも子どもを持ったら気持ちがわかりますよ」とか。
家族のことって、経験至上主義で語られるんですよね。教育もそうかなって思いますけども、「僕らが大学生のときにはみんな授業なんか行かなくって、さんざん外で遊んで最後にテストだけ受けたら単位とか楽勝でとれてたよ」とか。今は全然そんなことなくて、しっかり授業に出ないと駄目なのにね。家族とか教育とかって妙に自分の経験で語ってくる。
pha 誰でも語れちゃいますからね。「自分もやっている」と思って語れるから、語りたくなっちゃうんでしょうかね。ただ、それを押し付けるとか説教するみたいになると駄目ですね。
永田 押し付けにきますよね。押し付けられません?
pha 押し付けられますね。無自覚にマジョリティ的な人が言ってきます。
永田 シェアハウスの中にカップルが住むとか言ったりすると、「一緒に住むんだったら結婚すればいいじゃないですか」とか言われたりするって、しばしば聞くんですよ。
pha 別にしなくてもいいですよね。
永田 なぜ一緒に住むと結婚となるのか全然わからないけど、なんかそう思うみたいです。男子同士でやっているとあんまり言われないのかな? ギークハウスって男の人が多いでしょ?
pha 多いですね。女性もたまに来るけれど、だいたい男ですね。確かに僕も、「シェアハウスで住んでいて他人と一緒にやっていけるぐらいの協調性があるなら結婚もできるでしょう」みたいなことは言われますね。
永田 うざいね~。それとこれとは別だと。
pha それは別ですね。結婚は苦手というか、僕は多分できない。一対一が苦手というのがあるんですよね。一対一だと煮詰まってしんどくなるけど、人がいっぱいいると関係性が分散されるという感じです。
最近、2ちゃんねるを運営していたひろゆきが、たまたま知り合いの知り合いでうちに来たんですけど……。
永田 Twitterに「インターネットが来た」って書いていましたね(笑)。
pha 家でボーッとしていたらいきなりひろゆきが来て、「うぉ、ネットでよく見る顔が突然家に!?」みたいな感じだったんですけど(笑)。シェアハウスについていろいろ聞かれたんですけどね。あの人はパリに住んでいて奥さんがいて、友達とかは少ないわけじゃないけど別に家に来なくてよくて、シェアハウスとか全然理解できないらしくて。家族以外は誰も会わなくていいから外国に住んでいる、みたいな感じがありましたね。僕は東京で友達とか遊びに来やすいところで仲間を集めてワイワイしているのがいいなあという感じで全然違うので面白かったんですけど、それは価値観というより好みというか、性格的なものもあるんだなという感じがしますね。
永田 それを自然にできる人と頑張ってもできない人っているんですよね。不特定多数の人とか友達と一緒に一つの空間にいて、普通にリラックスできる人とリラックスできない人っているんですよね。
pha 僕の場合は寮に住んでいるときに他人が雑にいろいろいる空間が好きだというのを自覚したんですけど、寮に住んでいなかったとしても、そういう傾向があったんだろうなぁ。生まれつきの性格なのかなぁ。
永田 私はそれを「なんなんだろう」ってすごく自問自答した時期があったんです。私は長崎出身なんですね。うちが事業をやっているというのもあって、会社の人とかその家族がたくさん集まって来てちょっとしたコミュニティみたいになってて、赤ちゃんもいれば大学生もいるみたいなところでみんなでご飯を食べたりしていた。元々日本って農業国だからそういうことをやっていたはずなんだけど、いつの間にかなくなっちゃっているんだなというのは、結構思ったりします。
pha 確かにそうですね。近代家族の成立によって失われたということですね。
「結婚・妊娠・出産」って最後の宗教みたいの記事をもっと読む
「結婚・妊娠・出産」って最後の宗教みたい
「結婚」と「出産」にまつわる社会の本音
- バックナンバー