和田誠に初めて会ったのは、私が、小学校低学年の時だった。
母の姉・平野レミと和田誠が結婚したからだ。私は、母に連れられ、妹と弟と、和田さんの北青山のアパートに初めて行った。
レミ伯母が、「和田さん、和田さん」と呼ぶので、親戚はみんな、私も小さい頃から「和田さん」と呼んでいた。
和田さんのアパートの中がすごかった。1LDKのリビングの壁一面が天井まで、本棚になっていて、本を入れる四角いところが、真四角になって、ピチッとそろっていて、そこに、外国の画集がギッシリ並んでいた。
ベランダに面した窓には、見たこともないカーテンがかかっていた。50センチくらいつつ、縦に赤、モーヴピンク、紫、青、緑といずれも深い色がつながって一枚になっているのだ。当時は小学生で、よくわからなかったが、あのカーテンはきっと、和田さんの特注だろうと思う。
本棚の反対側には、和田さんがニューヨークに行ったときに買ったという、ステンドグラスがはまったアンティークの棚にお酒の瓶が入っていた。私は、今までアンティークの棚でこの和田さんの棚より素敵なものを一度も見たことがない。
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さすらいの自由が丘
激しい離婚劇を繰り広げた著者(現在、休戦中)がひとりで戻ってきた自由が丘。田舎者を魅了してやまない町・自由が丘。「衾(ふすま)駅」と内定していた駅名が直前で「自由ヶ丘」となったこの町は、おひとりさまにも優しいロハス空間なのか?自由が丘に“憑かれた”女の徒然日記――。