縄文時代を覚えていますか
「縄文時代」という言葉を聞いて、あ、懐かしいと思ったあなた。そうです、日本史の歴史で習ったあの縄文時代です。もしかしたら、マンモスを追いかけていたとか記憶されているかもしれませんが、それは違います、旧石器時代です。縄文時代は縄文土器や土偶、竪穴式住居、狩りをしていて……そしてあっという間に稲作が始まる弥生時代に移って……なんておぼろげな記憶があるかもしれません。授業で習うのも一瞬だったような気も。しかも今は学校で縄文時代は習わないとか。
なんてかわいそうな縄文時代。その縄文時代、実は、一万年も続いていたのです。
長い長い縄文時代に本当は一体何が起こったのか、縄文時代は一体どんな時代だったのか。まだまだ謎多き時代、ミステリアスでロマンチックな時代が、そう、「縄文時代」なのです。
縄紋に隠された"cord"を読み解く
それはそうとしては、この「縄文」。実は「縄紋」とも書くのをご存知でしょうか。
『明治12年 モースが大森貝塚から出土した土器を「Cord marked」とし、索紋と訳される。
明治19年 白井光太郎は「人類学報告」の中で縄「紋」土器の名を用いる。
明治37年 山中笑は「東京人類学会雑誌」223号で、「縄「文」式土器について」を発表。その後長く「縄「文」式土器」が使われた。
大正・昭和の初期 縄「紋」土器の名が広く採用されたが、昭和22・23年ごろからは「縄「文」土器」の名が定着し始めた。しかし、「紋」を使い続ける人もある』なるほど。日本考古学の父と言われる、エドワード・S・モース。大森貝塚を発見し、そして大森貝塚から古い「土器」も発見する。その土器には縄状の模様が施されていたことから調査報告書に「Cord marked」と記すのだが、それは「索紋」「縄紋」「縄文」と、時代によって様々に翻訳されてきたというわけか。
確かに、“Cord marked”を直訳すると、「縄状の印が刻まれた(土器)」となる。……つまり、“紋”のほうがむしろ正しい。
以上の記述があるのは、謎多き「縄紋」を題材に真梨幸子さんが初めて歴史ミステリに挑戦された新刊、その名も『縄紋』。作中登場する「縄紋黙示録」という自費出版の小説を前に困惑する興梠大介(校正者)が、「縄紋」という文字について調べ、驚いている場面です。
どうですか、あなたも驚きませんでしたか。知っているようで知らなかった「縄紋時代」には、まだまだ驚き続ける謎が詰まっています。
『縄紋』の発売を記念して、引き続き、縄紋の謎(cord)を少しずつ紐解いていきたいと思います。(次回につづく)
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和製ダ・ヴィンチ・コード『縄紋』
縄紋、と聞いて、「何それ?」と思ったあなた。
実は、あなたが欲しいマンションの価格も、日本人に糖尿病が多いのも、ヤンキー坐りの発祥も、神社に鳥居と参道があるのも、謎の病気が流行るのも、最近フェミニズムが台頭しているのも、隣りのあの人が消えたのも、殺人が起こったのも、ぜんぶ「縄紋」のせいかもしれません。
イヤミスの女王、真梨幸子さんの新刊『縄紋』発売記念特集です。