謎多き縄紋時代をキーワードに過去と現在、そして未来が繋がる驚天動地の歴史ミステリ『縄紋』。文京区で発見された女性の遺体、校正者のもとに届けられた謎の小説「縄紋黙示録」、あまりの残忍さで世間を恐怖に陥れた「千駄木一家殺人事件」と縄文時代の共通点とは……。縄紋(cord)に隠された暗号(code)を読み解く、和製ダ・ヴィンチ・コード『縄紋』の一部を試し読みでご紹介します。
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『縄紋』
序章
(二〇**年九月二十四日火曜日)
いつものように植物園の周りを歩いていると、
「あの……ちょっといいですか」
と、女に声をかけられた。
歳頃四十前後の女だ。いや、もしかしたら、もっと上かもしれない。それとも、下か?
いずれにしても、確かなのは、見知らぬ女……という点だ。
なのに、
「あなた、興梠大介さんですよね?」
と、いきなり名指しされた。
「え?」
大介は、防御するように腕を組んだ。
なんだ? 新手のキャッチセールスか?
見ると、女は濃紺のスーツ姿で、白髪まじりのベリーショート。そして、大きなカバン。いかにも、保険のセールスレディーといった雰囲気だ。
いや、それとも……、
「警察ですか?」
大介は、組んだ腕に力を込めた。
「え? なぜ、そう思うんですか?」
「だって。……最近、この付近で、女性の死体が見つかったって。身元不明の女性の死体が」
「ああ。そういえば、そんなニュースがありましたね。確か、植物園の裏の……今は使用されていない公務員宿舎で見つかったんですよね」
「ええ、そうです。あの宿舎は本当に物騒なんです。ずっと空き家のまま放置されていて、いつか事件が起きると思っていました。……でも、僕はなにも知りませんよ」
大介は、腕にさらに力を込めた。
「誤解されているようですが──」女が、満面に笑みをたたえながら近づいてくる。そして、「私は、警察ではありません。私は、こういう者です」と、名刺を差し出した。そこには、〝弁護士〟とある。
大介は、組んだ腕をほどいた。
「弁護士さん?」
「はい。私、ある方の弁護人をしておりまして──」
「はぁ」
「……あの。行かれましたか?」
「は? どこにですか?」
「ああ、まだなんですね」
「…………?」
「じきに、あなたは、覚醒します」
「覚醒?」
「あなたは、人類の救世主になるのです」
そんなことを言われて、大介は再び、腕をきつく組んだ。
この女、ヤバい。きっと、宗教関係の勧誘だ。弁護士なんて言って安心させて、変な宗教のセミナーとかに連れて行くつもりだ。
「あ、そういうの、間に合ってます」
大介は、一目散にその場を駆け出した。
1
(二〇**年九月二十七日金曜日~二十八日土曜日)
あ、間違っている。
しょっぱなから、間違っている!
興梠大介は、鉛筆を握りしめた。
ああ、もう!
叫びそうになったが、それはごくりと飲み込んだ。
その代わりに、
「はぁぁぁぁぁぁ」
と、糸を引くようなため息を吐き出す。
そして深呼吸を五度ほど繰り返すと、改めて目の前のゲラを眺めた。
タイトルは、『縄紋黙示録』。
作者の名前は、「黒澤セイ」。
黒澤セイ。聞いたことがない名前だ。
それもそのはずだ。大介が見ているゲラは、無名のど素人が書いた小説だ。
なぜ、そんな人物が書いた小説がゲラになっているのか。
ゲラというのは試し刷りのことだ。つまり、文庫本なり単行本なり、ゆくゆく〝本〟になることが前提だ。その判型から推測するに、単行本になるのだろう。……ど素人の小説が、単行本に? プロだって、なかなか単行本を出せないこのご時世に、なぜ?
答えは、簡単だ。私家版、つまり自費出版だ。
言うまでもなく、今はデジタルの時代だ。素人だろうがプロだろうが、誰でも自由に、自身の作品をネットで発表することができる。無料で発表の場を提供しているサイトもたくさんある。電子書籍という手段だってある。そんな時代でも、いまだにこうやって自費出版する者は絶えない。大金を支払って、わざわざ紙の本にするのだ。
ただの情報弱者? それとも、歪んだ承認欲求?
まあ、どっちでもいいけど。
おかげで、こうやって仕事にありつけるのだ。ありがたいことだ。
フリーの校正者になって早三年。一年目まではそこそこ仕事も忙しかったが、二年目あたりから仕事の発注が鈍くなった。そして今年。十月になるというのに、まだ八本しか仕事をしていない。このままでは住宅ローンが危ない。とりあえずバイトでもするか……と、アルバイト情報誌を眺めていると、馴染みの版元、轟書房からメールが入った。「自費出版なんですけど。校正お願いできますか?」
自費出版を扱うのは初めてだ。戸惑っていると、
「興梠さんに、ぜひ、やってもらいたいのです」
と、版元の担当から懇願された。モチヅキという名の名物編集者で、ヒットメーカーでもある。以前、何度か仕事をした。そのときも、
「この仕事は、興梠さんにしかできません。優秀な興梠さんにしか」
そんな殺し文句で、何度も無茶振りをされた。誤字脱字だらけの記事を三十分で校正しろとか、テープ起こしをしただけのインタビュー記事を一時間で校正しろとか。なのに、料金はいつもと同じ。
今回は騙されないぞ。
が、気がつけば、「喜んで!」と返信していた。それが、三日前。
そして今日、宅配便で送られてきたのが、これだ。
届いたばかりの茶封筒からゲラを取り出したその瞬間、激しい後悔で目が眩みそうになった。
そのタイトル。
『縄紋黙示録』って。なんだ、この中二病くさいタイトルは? どうせ、異世界だの魔法だの選ばれし者だのが出てくる、選民意識バリバリの独りよがりなファンタジー小説なのだろう。……いやいや、問題はそこではない。〝縄紋〟が、間違っている!
大介は、削ったばかりの鉛筆を握りしめると〝紋〟に引き出し線を描き、〝文?〟と指摘を入れた。
……まったく。〝縄文〟を〝縄紋〟と間違えるなんて。小学生だって、間違えないよ。これだから、素人は。あーあ。これから先が思いやられる。……と、肩をすくめたところで空腹を思い出し、中断。それから夕食の支度をし、それを食べ、いつものドラマを視聴し、風呂に入って……。
シャンプーをしているときに、ふと、気になった。
「なんで、作者は〝縄紋〟と間違えたんだろう? タイトルにするほどなのに。変換するときだって、まずは〝縄文〟が出てくるはずだ。わざわざ〝縄紋〟とするには、変換キーを何度か押す必要があるはず。……もしかして、なにか意図がある?」
風呂から出ると、早速、ネットで検索してみた。
すると、国会図書館のレファレンス協同データベースに、以下の記述を見つけた。
『明治12年 モースが大森貝塚から出土した土器を「Cord marked」とし、索紋と訳される。
明治19年 白井光太郎は「人類学報告」の中で縄「紋」土器の名を用いる。
明治37年 山中笑は「東京人類学会雑誌」223号で、「縄「文」式土器について」を発表。その後長く「縄「文」式土器」が使われた。
大正・昭和の初期 縄「紋」土器の名が広く採用されたが、昭和22・23年ごろからは「縄「文」土器」の名が定着し始めた。しかし、「紋」を使い続ける人もある』
なるほど。日本考古学の父と言われる、エドワード・S・モース。大森貝塚を発見し、そして大森貝塚から古い「土器」も発見する。その土器には縄状の模様が施されていたことから調査報告書に「Cord marked」と記すのだが、それは「索紋」「縄紋」「縄文」と、時代によって様々に翻訳されてきたというわけか。
確かに、〝Cord marked〟を直訳すると、「縄状の印が刻まれた(土器)」となる。……つまり、〝紋〟のほうがむしろ正しい。
あちゃー。
顔がぽっぽと火照る。風呂上がりだからではない。恥ずかしさからだ。間違っていたのは、自分だ。大介はデスクに向かうと、まずは消しゴムを探した。
「これは、もしかして」
真新しいゲラに消しゴムをかけながら、大介は思った。
この作品は、もしかして、ちゃんとした学術書、あるいは研究論文ではなかろうか?
ならば、納得だ。学者が自身の研究をまとめて本にする……ということはよくある。運がよければ出版社の金で出版することもできるが、そうでない場合、自費で出版するしかない。
そうか、そういうことか。
大介は濡れた髪もそのままに、姿勢を正した。そして、深々と一礼すると、ゲラを恭しく捲った。
すると、
『縄紋時代。
この名を聞いて、みなさんはなにをイメージするでしょうか?』
という一文が、目に飛び込んできた。
教師に突然名指しされた生徒のごとく、大介はさらに姿勢を正した。
和製ダ・ヴィンチ・コード『縄紋』
縄紋、と聞いて、「何それ?」と思ったあなた。
実は、あなたが欲しいマンションの価格も、日本人に糖尿病が多いのも、ヤンキー坐りの発祥も、神社に鳥居と参道があるのも、謎の病気が流行るのも、最近フェミニズムが台頭しているのも、隣りのあの人が消えたのも、殺人が起こったのも、ぜんぶ「縄紋」のせいかもしれません。
イヤミスの女王、真梨幸子さんの新刊『縄紋』発売記念特集です。