ヘミングウェイに刺激されて、体がきちっとしてなければ、意志もきちっとしないということを常に思っていたんだね。トレーニングしているときに、いつも自分の中で呟いていたのがここでも「勝者には何もやるな」。体をビルドアップするということは、速いピッチャーがくればどんなに凄いバッターでも三振するのと違って、自分が苦しんだら苦しんだだけMAKE A FRUITSできるんです。必ず結果が出るわけ。苦しめば若しむだけ筋肉はちゃんと発達する。そんなはっきりとした結果が出るものってないよ。それは誰のためでもない。際限のないものでもあるんだけど、あの10年間というのは、体を作り続けない限り俺はもっと前へもっと前へと闘っていけない、そんな意識がありましたね。「勝者には何もやるな」と言い続けるためにも、やる以外なかったんですよ。トレーニングが終わり、シャドーボクシングしながらこれで俺はまた闘えると思う気持ちのよさ、「勝者には何もやるな」と呟いたときの充実感というのは、何ものにも代え難いと感じられた。だって、それをやらなければ、もう気が狂いそうになるんだから。猛烈にたるみきった気がして、精神も肉体も。まずその3時間をきっちりと決める。で、残りの時間を仕事や女に振り分ける、そんな毎日だった。でもね、俺はその10年間がもっとも激しく仕事ができた。精神のスイングも大きかった。あの10年間の余韻で今生きているようなものですよ(笑)。生きるっていうのは、俺にとっては空しくて切なくて、とても辛いことで、いつも怯えが伴うというか……。それを誤魔化すために人は恋愛をしたり、仕事に打ち込んだり、宗教にはまったり、家族を愛したりするんだろうけれど、結局はひとりで死んでいくしかないわけで。俺の場合、そういった怯えを誤魔化して、生きていく上での最良の糧になるのは「勝者には何もやるな」。この言葉を繰り返すことに尽きるんですよ。仕事だって空しさを埋めるものにはなり得ないよね。どんなにうまくいこうと、どんなに闘っていようと、空しいよね。ヘミングウェイもずっとそうだったと思う。
結局、俺は自殺すると思う。いつなのかは分からないけれども、自殺すると思いますよ。だからヘミングウェイが自殺した時の気持ちってすごく知りたいよね。何故、ライフルにしたのか。何故、足で引き金を引くことを選んだのか……。やっぱりその方法がもっとも激烈な終わり方だったのかな。
俺は臆病だからね、死ぬのが怖いんですよ。それを埋めるものって何ひとつないんだよね。すごくいい女とセックスしてたり、ビジネス上のある種の成功によって瞬間的には埋められるだろうけど、その瞬間が離れるとまた日常は茫漠として続くわけで。気がついてみると18歳が25歳になって30歳が40歳になって、たちまち50歳になっているわけでしょ。そうすると、あと20年かと思うわけじゃないですか。それに耐えきれるかっていわれると、俺は自信ないね。ヘミングウェイは少なくとも自らの命を彼らしく自分で閉じたわけで、その事実は俺にとっては凄く重要なことなんです。自殺はしちゃいけないとか、自殺はカッコ悪いとか、そういうレベルの話じゃない。「勝者には何もやるな」と言ったひとりの男が、自分で自分の幕を引く。その行為自体が俺には決定的に重要なんです。
全て「死」ですよ、ヘミングウェイの小説のテーマは。自分がどんどん老いていく、たるみあがっていく、シミが増えてくる、シワも増えてくる、髪が白くなってくる。成熟して芳醇になっていく姿は俺たちから見ればカッコいいけれど、彼にとってはそうじゃない。放つパンチが緩慢なスピードになっていく、獲物を仕留めるときにも狂いが生じてくる。その老いの恐怖を埋めるためにずっと小説を書きつづけ、戦争にも行き、闘牛にも魅せられて強い男であろうとしてきたわけ。でも、60歳を前にしてついに埋められないところまで来たわけでしょ。自己嫌悪の塊だったと思うし、来るべきものがついに来ているという、死に対する覚悟だったんですよね。老いればみんなそうなっていくわけだからね。三島由紀夫はそんな自分を見る前に逝っちゃったけどね。
臆病だからこそ、俺は激烈に生きていないとたまらないんですよ。もしも失敗したら会社が潰れるってくらいのことをやってないと、空しさや怯えを埋められないんです。もし、何もかも打つ手が上手くいって、もうそろそろ守りに回った方が経営者としてはいいよと言われたとしても、俺はきっとそういうふうにはならないと思うよ。
そのときは、もう、経営者を変えてもらうしかないでしょうね。