一人を有名にすればつぎにまた新しい原石を探しに出かける。会社のレッテルでは決して仕事をしない。それが、見城が思い描き、実践しつづけてきた男の美学だ。幻冬舎は、この見城の美学の集積によってできた出版社である。若く、無名だった頃から見城が切り拓き、切り結んできた作家やミュージシャンの人脈が、その新しい船出に活かされた。見城がやるのなら、と言ってくれる者ばかりだった。
「会社というのはつねに自分の隠れ家なんですよ。それが本拠地になってしまうとダメだと思う。一匹のヤドカリが、角川書店という大きな宿から出て、小さな幻冬舎といういつ崩れてもおかしくない宿に移っただけなんですよ。僕にとって、所属する組織はいつも隠れ家じゃなきゃダメなんです。その場所が自分のアイデンティティになってしまうと、自分の存在価値は全くなくなってしまう。人間は、会社が大きければ大きいほどそのレッテルに頼ってしまうものなんです。そうなってしまうと、もう終わりだと思う……」
幻冬舎は急成長を果たした。皮肉にも、見城自身、幻冬舎という大きなレッテルを作ってしまった。だが見城は、今、そのレッテルを作った自分すらも壊そうとしている。
「つねにローリングストーンでなくてはいけない。自分で自分をぶっ壊す。昨日やったことを今日裏切る。『幻冬舎たる』的なものに安住してしまったら、僕はもうお終いだと思っている。社員にも自分にも、常にそれを問うている。正直、全てが全てうまくいくわけではないですよ。人間なんだから、うまくいかないときだってある。うまくいかなくても、自分で自分を変えようとする。ぶっ壊すことができている限り、仕事をする人は現役でいられると思う。七転八倒し、涙を流し、血を流した、その結果が大きな仕事になって実を結ぶ。しかし、その仕事が終われば、ふたたび自分をゼロに戻す。栄華や名誉をかなぐり捨てて、ふたたび自分をゼロに戻せるか。そこに常にチャレンジしている。自分が本当にアイデンティファイできるものとは、自分が死の直前に、その死を受け入れられるかどうか、その瞬間のためにあると思う。今、一時的にうまくいっていることは、すべてにおいて成功でも失敗でもない。死ぬ直前に『生きてきてよかった』と思えて、初めて成功だと言える。そう思っている。だから僕は、死ぬために生きるし、つねに隠れ家から脱出し、新たな生きる道を探している。いつも脱出できるという状態を作って、仕事をしているんです」
見城は、人間は「何もかもが全てうまくいっている」と感じるときは一番危険なときだと思っている。人から見てうまくいっていると思われても、自分の中ではうまくいかない。「うまくいかないが何とかやりきれている」という状態が、人間にとって、実はいい時期ではないかと言う。そこまでトラブルやプレッシャーを背負って生きていて、彼は、逃げたいとは思わないのか。
「逃げたいとは思う。しかし、それが結局、全て自分の死の間際につながってくると思うから、結局は逃げられない。これを失敗したら倒産するんじゃないかとか、この手形が落ちなかったら終わりだなとか、どう計算してもあと3ヵ月以内に爆発的なヒットがなければ立ち行かなくなるんじゃないかとか、そんなことはしょっちゅうですよ。しかし、それ自体が自分の最期を決めるわけじゃない。プレッシャーやトラブルは当たり前、不幸なのは当たり前だと思えば、どうってことはない。毎日トラブルですよ。毎日憂鬱ですよ。角川を辞めたとき以来、会社をつくってから一度だって心が晴れることはない。人生にとって、全ては隠れ家なんです。人は、死ぬという寂しさを埋めるために仕事をしている。寂しさを埋めるために、自分が身を入れて愛することができる女を探している。仕事と女、その二つしかない。女という隠れ家に緊急避難するのもやはり……」
ヤドカリは、一度宿にした貝には二度と戻らない。また、最後の宿にした貝のなかでも死なない。死の直前に宿を発ち、その消えかけた命は、磯を揺らぎ、水中でたちまち固まり、収縮した死体となって静かに沈澱し、蟹や鯊の餌食になるか、または引潮に流され、海の一部となって消えていく。