本日(7月28日)21時から始まる連続ドラマ「竜の道 二つの顔の復讐者」。
原作は、無頼派作家として知られる白川道さんの『竜の道』です。
主人公は、復讐と君臨の修羅街道を突き進む双子・矢端竜一&竜二。
原作は物語冒頭から問答無用のトップスピードです。 竜一と竜二の強烈な個性を感じさせるプロローグを試し読みでご紹介します。
* * *
プロローグ
――竜一、十八歳の夏
カモは――、いやジョン・ドゥは、海峡を渡ってやってきた。約束どおりに、なにも疑いもせずに。一年かけて見つけ出し、手なずけた、ジョン・ドゥ……。この日のために、この世に生を享けた、ジョン・ドゥ……。
ジョン・ドゥ。素敵な名前だ。砂漠で発見される身許不明死体に付けられる略称――。男は――JOHN DOE。女は――JANE DOE。だが明日の朝発見されるおれのジョン・ドゥ、おまえにはおれの名前――矢端竜一をくれてやる。
改札口を出たら左。そのまま真っ直ぐだ。商店街が切れた所で、黒塗りの車に乗って待っている。ハザードを点滅させておく。途中、誰かとすれ違っても絶対に顔を見られるな――。
土産物屋の薄暗い看板の裏に身をひそめて竜一はじっとジョン・ドゥを観察した。
一段と雨風が強くなってきた。商店街の立て看板がガタガタと音を立てている。
改札口を出たジョン・ドゥが背をかがめるようにして周囲に視線を走らせた。傘で顔を覆い隠し、足を左にむける。
そうだ、ジョン・ドゥ。そのまま真っ直ぐだ……。
夜の九時五分。台風情報どおりなら、深夜の三時頃、台風十六号がこの街付近を通過する。人影はまばらだ。商店街の店という店は早々とシャッターを下ろしている。
順調だ。すべてが計算どおりだ。唯一の心配は巡回するパトカーだけだ。だが、もし尋問を受けるようなら、またという機会がある。なに、台風はきょうだけってわけじゃない……。
看板の陰から飛び出してジョン・ドゥの後を追う。
男とすれ違った。知った顔ではない。それに酔ってもいる。顔をそむけて、足早にただひたすらジョン・ドゥを追う。
ジョン・ドゥが立ち止まり、点滅するハザードを見つめ、それからゆっくりと車に近づいた。運転席をのぞいている。
一度周囲を確かめてから、車にむかって全力で走った。
怯んだジョン・ドゥの顔。
「乗れ」
運転席に飛びこみ、助手席を開けてやる。雨風と一緒に、ジョン・ドゥが乗り込んできた。
すぐに車を発進させた。順調すぎるくらい順調だ。なにひとつ計算外れのことは起きちゃいない。
「えらい嵐たい。なんもよりによってこげな日に……」
ジョン・ドゥの視線を無視した。
「この嵐に感謝しろ。おかげでかえって警戒が手薄になっとる」
路地からのヘッドライト。パトカーじゃない。走り去った。
「ほんなこと、簡単なんやろな」
「信用できんなら帰ってもよかぜ」
ジョン・ドゥが黙り込んだ。喉から手が出るほどに欲しい金。それに小心者だ。
「ほんと、おれは見張っとるだけでいいんやろな」
念を押す声もいくらか震えている。
「これでも飲んで気ば落ちつけろ」
蓋の開いた缶コーヒー。ひと口飲むフリをしてから、ジョン・ドゥに手渡した。掌が汗ばんでいるのは、このクソ暑さのせいばかりではない。
「金ば握ったら、あげな街とはオサラバたい。成人式は、大阪でパァッと派手にやってやる」
ジョン・ドゥがつぶやく。
同い年。同じなのは年齢だけじゃない。身長、体重、血液型――。下関の魚介物問屋でこき使われている、ジョン・ドゥ。熊本の貧農の出で、故郷元からも見放され、この数年間は音信不通でもあるらしい。すばらしい。おれのためにこの世に生を享けたような、ジョン・ドゥ――。
畜産業者でな、セリの前日にゃ金がうなっている……。撒いた餌に、ジョン・ドゥはあっさりと食らいついた。
ゴクリと動かすジョン・ドゥの浅黒い喉仏を横目で盗み見た。からっぽの缶を握りつぶし、ジョン・ドゥがたばこに火をつける。
空き缶も吸い殻もきれいに始末しておかねばならぬだろう。
車を適当に走らせた。ジョン・ドゥに土地勘はない。
十八年間見つづけた、この街並み。十八年間吸いつづけた、このくすんだ空気。十八年間ぶら下げつづけた、この名前――。なにひとつとして未練もない。
すべてが終わったあすの朝一番、海峡を渡るのは、ジョン・ドゥ、おまえじゃない。このおれだ。十八歳の夏――。この夏で、おれのこの街での十八年間の人生はすべて灰になる。
十五分。そろそろ効いてくるころだ。横目でジョン・ドゥを盗み見た。
「まだ……なの……か」
生あくび。眠っちまえ、ジョン・ドゥ。もう一度大きな生あくび。ジョン・ドゥの首がガクリと前方に折れた。
たたきつけてくる雨と風。慌ただしくフロントガラスを拭うワイパー。風は強いが雨量はさほどでもない。天までが味方している。この雨なら火の勢いが止められる惧れもないだろう。
ジョン・ドゥの寝息を確かめてから、竜一は初めて車のむきを目的の方角に切り替えた。
くそっタレの養父母は、きっと今ごろは、いつものように酒を食らってダラしなく眠りこけていることだろう。あの腐った顔とも、饐えた臭いのしみ込んだ、あの忌まわしい家とも、きょうの夜をかぎりにオサラバだ。
ヘッドライトの明かりが、はるか先にある、堆く積まれた廃タイヤの山を浮かび上がらせた。廃タイヤの隣が、空き缶と鉄屑の集積場。そしてそのむこうに、シートを被せた段ボールと古新聞の山がつづいている。母屋の裏手の焼却炉の周辺はただでさえ日当たりが悪く、火消し後の水もなかなか乾くことがない。夏の今、その一帯はウジがわき、蚊や蠅の絶好の繁殖場と化して異臭を放つ。異臭は母屋に流れ、母屋を満たした異臭は次には、二階にある物置のような自分の部屋にへばりつく。
小学校に上がる前から、毎日毎日、竜二とともに廃品回収の作業を手伝わされた。ほんの少しでもなまけると、情け容赦なく養父母は、おれと竜二に焼け火箸を押しつけた。焼け火箸は、皮膚を焼き、肉を貫き、心の奥底にまで深く食い込んだ。
ヘッドライトと車のすべての明かりを消し、竜一は徐行運転に切り替えた。ジョン・ドゥの寝顔は天使のようだ。
もうあと少しで終わりだ。誰も知らない、まったく新しいおれの第二の人生――。そうだ……、顔の手術が終わったら、火傷痕の一つ一つもきれいに除去しよう。
竜二、おれの仕事はもうすぐ完了だ。残るは、おまえの出番……。
竜一は、ゆっくりと廃タイヤの山の横道に車を乗り入れた。