ヨーロッパやアメリカの一部の州では、すでに廃止されている死刑制度。一方、日本はその流れに逆行するかのように、いまだ死刑制度が適用されている。なぜ日本人は死刑を「是」とするのか? 戦後のおもな死刑判決事件を振り返りながら、時代によって大きく変わる「死刑基準」について考察した『なぜ日本人は世界の中で死刑を是とするのか』から一部をご紹介しよう。
特別に扱われる放火殺人
書籍内で、殺人事件の種類として、放火殺人というのを挙げています。
放火殺人は、特別な面があり、これまでの裁判でも、取り扱いが揺れています。
放火殺人とは、放火を手段として殺人を犯すものを言います。人のいる建物に殺意をもって放火するのが典型です。
これに対して、殺人を犯した後、犯跡を湮滅するために放火するのは、「殺人、放火」と言って区別されます。こちらは、殺害後のことであり、また、罪跡を湮滅する一方法として放火が用いられているだけですから、特別な考慮を要するわけではありません。
殺人後の放火は、強盗殺人や婦女暴行殺人にしばしば見られ、この場合は、当の殺人の種類によって、強盗殺人なり婦女暴行殺人なりに分類され、その中で扱われることになります。
さて、本来の放火殺人についてです。この場合、特別な面があるというのは、次のようなことです。
放火を手段とする場合、紙屑に火をつけた程度でも、多数の死者が出る大惨事になることがあり、それほど大それたことを考えていなくとも、重大極まる結果を招来するという特殊性があります。
そこで、この場合、結果の重大性を重視するか、それとも本人の意思(内面)を重視するかという問題を生じます。
書籍の前章で、館山・住宅放火4人焼殺事件(平成15年)が出てきました。深夜、千葉県館山市の住宅地で一軒家が放火され、4人の焼死者を出した事件でしたが、原因は、通りすがりの者が、積み上げられていた古新聞の束にライターで火をつけたところ、火が燃え広がったというものでした。この事件が死刑判決となったのは、結果を重視した典型的な例と言えます。
「無期懲役」になることも
他方では、同じく4人の死者を出した事件でも、テレホンクラブに営業妨害の目的で火炎瓶を投げて店舗を燃やし、逃げ遅れた客ら4人を焼死させた神戸市の事件では、判決は無期懲役となっています(最高裁判所平成18年11月16日判決)。
また、千葉県松戸市で元交際相手の女性宅に灯油を撒いて放火して、その結果、幼い子供を含む家人3人を焼死させた事件がありましたが、殺意が未必的で家の中に何人いるかをはっきり認識していなかったことで死刑ではなく無期懲役とされています(東京高裁平成17年8月2日判決)。
これらは、本人の内面を重視した典型例と言えます(未必の殺意とは、殺意が確定的でないことを指す)。
書籍の前章では、昭島・昭和郷アパート放火8人焼死事件(昭和32年)というのもありました。共同住宅の住人の1人が物置に新聞紙を丸めて火をつけたのが燃え広がって焼死者8名を出した事件でしたが、このケースでは殺意自体が認められませんでした。
この事件の死刑判決は、結果を重視した極端な例ということになります(なお、これは放火殺人ですらなく、単なる放火の死刑判決の例です)。
このように、放火殺人では、結果を重視するか、本人の内面を重視するか、裁く側の考え方一つで結論が変わってくるという特殊性があり、これまでの裁判でも大きなブレが生じています。
なお、本人の内面を重視する考え方を責任主義と言いますが、近代刑法においては、「結果主義から責任主義へ」という大きな流れがあります。
なぜ日本人は世界の中で死刑を是とするのか
ヨーロッパやアメリカの一部の州では、すでに廃止されている死刑制度。一方、日本はその流れに逆行するかのように、いまだ死刑制度が適用されている。なぜ日本人は死刑を「是」とするのか? 戦後のおもな死刑判決事件を振り返りながら、時代によって大きく変わる「死刑基準」について考察した『なぜ日本人は世界の中で死刑を是とするのか』から一部をご紹介しよう。