裁判官は無味乾燥な判決文を読み上げるだけ…と思ったら大間違い。
人を裁くという重責を担っているからこそ、ときには厳しく温かく、人間として被告人に、被害者に、そして社会に語りかける場面も。
法廷での個性あふれる裁判官の肉声を集めた幻冬舎新書『裁判官の爆笑お言葉集』から、特に考えさせられる部分を抜粋しました。
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検察官まで同情した悲劇
本件で裁かれているのは被告人だけではなく、介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを、行政の関係者は考えなおす余地がある。
実母との心中を決行し、自らは生き残ったために承諾殺人の罪に問われた被告人に、「献身的な介護で尽くした息子を、母親は恨んでいない」として、執行猶予つきの有罪判決を言い渡して。
京都地裁 東尾龍一裁判官
当時54歳 2006. 7. 21[付言]
京都市内の木造アパートに両親と3人で暮らしていた被告人。父の死後、母に認知症の症状が現れ、最初はデイケアを利用して働きながら介護をしていたのですが、母の症状が進み、昼夜逆転の生活を余儀なくされたため、退職して介護に専念することを決意しました。
生活保護を申請しようと福祉事務所を訪れましたが、失業保険を受けていたため認められず、職員から返ってきたのは「働いてください」との言葉。2004年度には生活保護の不正受給が約62億円超にものぼっており、申請に対して警戒を強めている事情は理解できます。とはいえ、失業保険が切れれば生活保護は認められる、とのアドバイスすらなかったのは、対応が冷たすぎたと批判されても仕方のないところでしょう。
家賃やデイケアの料金も支払えなくなり「人に金を借りず、迷惑かけずに生きろ」という父の言葉を思い出した被告人は、車椅子の母親を押して京都の街を散策した後、桂川のほとりで「もう生きられへんのやで。すまんな」と、母子心中を決行したのです。
「私の手は、母を殺(あや)めるための手だったのか」……被告人が法廷に残した言葉です。検察官の論告にまで「哀切(あいせつ)極まり同情の余地がある」と加えられた、珍しい雰囲気の裁判になりました。