“この世界は残酷で不条理で、でも生きるに値する場所”。
自分の命について、そう感じさせてくれる存在はいますか?
何があっても消えない。心のなかでただひとつ信じている。自分の真上にいつもある北極星みたいなもの。
彼女にとってそれは、愛する人だった。あるいはその胸に燃える恋心。
「神様」を書くために、加藤ミリヤは小説家になった。
0.神様ってなんだろう?
信じてる宗教はない。でも、神様はいるって信じてる。
そういう人って、かなり多いと思う。僕もそうだ。
そういう人間にとって、神様ってなんなんだろう。神様を信じる、神様に祈るという気持ちは、どこから生まれ、どんな種類の感情でできているものなのか。
ここでちょっと質問してみたい。すっごくお腹が痛くなってしまった時。自分はもう死ぬんじゃないかと目を回してしまうような時に、「助けてください」と祈ったことはないだろうか? その時あなたは、誰に祈ったのか。
僕は初めの頃、「神様、仏様、キリスト様!」とちゃんぽんで叫んでたと思う。なんだか頼りなかった。ある時するっと出てきた言葉は、二十歳の頃、大好きでたまらなかった女の人の名前だ。
今までで一番、つらい片思いをした人だった。一瞬成就したけれどすぐダメになって、それでもずっと好きでい続けた人だった。つまり、この世界は残酷で不条理で、でも、生きるに値する場所だと教えてくれた人だった。
自分の口から出る言葉が、重みを持った気がした。何度彼女の名前を連呼しても、お腹はやっぱり痛いままだ。でも、たぶん僕にとっては彼女が、神様。
1.神様=無償の愛なんて、いらなかった処女作
加藤ミリヤの小説最新作『神様』は、全5編収録の短編集だ。最後の1編のタイトルが、書名に採用されている。大胆で、力強いタイトルだ。でも、振り返ってみると、彼女はデビュー以来「神様」を書き続けてきた。
2011年9月、長編『生まれたままの私を』で彼女は小説家デビューを遂げた。その文章は、なめらかで引っ掛かりのない、つるつると読みやすい文章ではぜんぜんなくて、ちょっとごつごつしていた。そのごつごつ感が、小説を書き慣れていない人ならではの言葉に対する敬意と畏怖のあらわれのような気がして、ヘンな言い方になるけど、安心できた。
東京でひとり暮らしをする22歳のミクは、「私はみんなとは違う」と思い続けて生きてきた人だ。ほんとうの恋は、したことはなかった。<私は少女たちがのめりこんでいく恋ではなく、絵に夢中になることで私を保ち、私を探した>。彼女はアマチュアからプロになろうとしている、ヌード専門の画家だ。そんな彼女が、初めて開いた個展会場で、服のデザイナーをしているレイと出会う。<ひと目見た時からこの人が欲しかった>。初めての、激しい恋をする。
さまざまな登場人物が、ミクの人生を横切っていく。そのうちのひとりが、新宿の路上でヌードモデルにならないかとナンパした18歳のエリカだ。出会ったその時、ふたりはこんな会話を交わす。
「新宿で何やってんの」
「あたし神待ってんの」
「神?」
「そう。神」
「…………」
「見返りなんて求めないで、ただあたしの望みを叶えてくれる人。ご飯とか、寝るところとかただで与えてくれる人」
シンプルに書けば、エリカが求めているのはエロいことをしない「パパ」だ。でも、彼女の願いを「無償の愛」と翻訳したなら、ミクが恋人のレイに、差し出そうとしているものと同じだ。彼が彼女に、差し出しているものと同じ。
<ひとりの時もあなたとのことを考える。私はあなたのためなら何でもしたいと思う。><この人は絶対に私を裏切らない。そう思った。愛されている。私は彼に愛されている!>
でも、その思いは束の間だった。
<私はもう既にレイくんがいなくては自分でいられなくなっていた。そしてそのことをおぞましく感じていることも紛れもない事実だった。><私は今までずっとひとりで生きてきた。だからやはりそれに戻らなくてはいけない。>
その飢餓感は、ものづくりをする人間ならではのサガなのかもしれない。『生まれたままの私を』は、画家であるヒロインが、神様——無償の愛——なんていらないと決意する物語だ。神様のいない世界で、孤独を抱えたままひとりで、生き抜いていこうとする物語だ。
次のページ:2.二つの神様に揺られ、苦悩する表現者
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