江戸の名料亭「八百善」とその主人、福田屋善四郎を描いた、直木賞作家・松井今朝子さんの『料理通異聞』。「料理を題材にした時代小説の最高傑作」とも評される本作の「舞台裏」を、著者みずから丹念につづったのが、『江戸文化の華 料亭・八百善を追う』です。今も残る古文書、史料の数々を読み解きながら、善四郎の生涯に肉薄していく過程はスリリングそのもの。歴史好きなら必読の本書より、一部をご紹介します。
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八百善を象徴するエピソード
江戸時代の八百善に関する史料の中で、今日に最もよく知られているのはやはり次の話ではなかろうか。少なくとも私は、このエピソードと共に八百善という料理屋の存在を知ったのだった。
ある人が仲間と連れ立って八百善に行き、お茶漬けを注文したところ、半日ばかり待たされてようやく煎茶と香の物が出てきた。香の物は細かく刻んだ覚弥で、春には珍しい瓜と茄子が粕漬けにしてあったとはいえ、食べ終わって代金を聞けば、驚くことになんと金一両二分もした。
いくらなんでも高すぎるではないかと文句をいえば、漬け物代はともかく、お茶が意外に高くついたとのこと。極上の煎茶でも土瓶に入れる量はたかが知れているが、お茶に合う水を汲みに、わざわざ遠く玉川にまで人を走らせたので、その早飛脚の運賃が莫大だったのだと亭主は弁明した。
一両二分を現代に換算すればざっと十五万円くらいだから、何人前のお茶漬け代にしろ途方もない値段である。
果たして亭主が言い訳に使った早飛脚の運賃は当時どれくらいだったのだろうか。
現代と同様に運賃は距離や重量によって異なり、長い江戸時代の間には料金改定もたびたびあったようだが、今日と大きく違うのは早便と普通便の料金差だろう。
たとえば江戸大坂間で書状を送る場合、並状だと三十二文(八百円)なのに早状だと二百文(五千円)となり、一貫目の荷物がふつうだと銀六匁(一万円)のところが、早荷は銀三十匁(五万円)にもなった記録が残されている。要するに早飛脚は一人でなく数人でリレーして運ぶから、人件費が余計にかかるのだった。
別の記録では距離ばかりでなく地形によっても差があるのが知られ、たとえば箱根の山越えや大井川の川越えは相当に高かったりする。八百善のある山谷から玉川(多摩川)の一体どのあたりまで水を何リットル汲みに行ったのかは定かでないが、かなり上流まで行ったとすれば、言い訳が通るくらいの料金はかかったのかもしれない。
それにしても法外な代金であるのは確かだし、亭主は何らかの理由があって、その客にひと泡吹かせたかったのではないか。などと想像を逞しうするところから小説は生まれるのだけれど、その前にここではまずこのエピソードをもう少し詳しく説明しておく必要があるだろう。
浅草で流行した「お茶漬け屋」
出典は『寛天見聞記』という、寛政から天保期に至る世相の移り変わりの目撃証言録で、右のエピソードは「享和の頃、浅草三谷ばしの向に、八百善といふ料理茶屋流行す」との書き出しに始まる。
享和は文化のひとつ前の元号で、十九世紀初頭のこと。「其頃、煎茶の事流行して」とも書かれており、当時は煎茶の銘柄と水の出所を飲み分けるようなことも盛んで、「是は玉川、是は隅田川、是は何処の井の水」というふうに定まった組み合わせまであったようだ。
いずれにしろ、自分の家でも食べられるようなお茶漬けをわざわざ料理屋で注文すること自体が問題で、「無益の金銭を捨る事戒むべし」と、この話は厳しく締めくくられた。
しかしながら、料理屋とお茶漬けはこれ以前から意外に因縁浅からぬ仲だったのである。
そもそも江戸における料理屋の発祥は、明暦の大火(一六五七年)後に浅草寺の門前で茶飯と豆腐汁と煮染め煮豆の類をワンセットにして「奈良茶」と称し、一人前五分(約九百円)で提供して大繁盛した店だったことが、同時代の風俗考証事典ともいうべき『嬉遊笑覧』に窺える。
この店の評判は遠く上方にまで届いたようで、『西鶴置土産』には、食器はいろいろと綺麗なものが揃っていて、庶民に使い勝手がいい便利な店で、「上方にも斯る自由なかりき」と紹介されている。
新興都市の江戸は単身赴任者が多かったので、いわばお手軽な外食が上方よりも盛んになりやすい環境だったのだろう。明暦の大火後は「けんどん」の店が沢山できたらしい。この「けんどん」とは、うどんや蕎麦を一杯盛り切りで突慳貪に出す店を指し、中には「慳貪飯」もあったという。
同じ浅草の地で、お茶漬けが茶飯に取って代わったのは十八世紀も後半のこと。「茶漬見世なども、元は安永元(一七七二年)の比、浅草並木の内左側に海道茶漬と書し行灯を出し」たのが始まりだと、同世紀末の随筆『親子草』は伝えている。
それからだんだん流行りだして銀座に「山吹茶漬」という有名店ができたり、七種の香の物を出す「七色茶漬」が現れたりと、さまざまな茶漬屋が出現した。文化年間(一八〇四~一八)にはすでに二十数軒の店がひしめき合って大いに賑わったという話は、現代のラーメン屋事情と相通じるものがありそうだ。
さて一般的なお茶漬けの値段はどれくらいだったのだろうか。ひとつの目安となるのはこれも『嬉遊笑覧』に見える「十二文茶漬」という店の存在だ。一杯十二文(約三百円)だと安く感じられたから、百円ショップのように値段が冠されたに違いない。ふつうはもうちょっと高くて四、五百円くらいしたのではないか。
ともあれ一両二分はあまりにも高すぎたからこそ、このエピソードが後世に長く伝わったのは確かである。
江戸文化の華 料亭・八百善を追う
江戸の名料亭「八百善」とその主人、福田屋善四郎を描いた、直木賞作家・松井今朝子さんの『料理通異聞』。「料理を題材にした時代小説の最高傑作」とも評される本作の「舞台裏」を、著者みずから丹念につづったのが、『江戸文化の華 料亭・八百善を追う』です。今も残る古文書、史料の数々を読み解きながら、善四郎の生涯に肉薄していく過程はスリリングそのもの。歴史好きなら必読の本書より、一部をご紹介します。