大久保佳代子さま
前略 「こんな楽してこんなにお金もらえるの?」と思ってアナタはテレビに出ているんですか? 素人さんは楽でいいですね。「タレントになって変わったよねぇ」なんて思いながら私から賞金を当たり前のように受け取っているんですか? そして老後も面倒を見ろ? アナタってほんと……もう、いいや。言いたいことが山程あって、何も言えなくなった。
私はお金が苦手です。まず、数字が苦手です。額が少ないとピンとくるのですが、額が多くなると、分からなくなってしまいます。例えば、スーパーで、キャベツ1個だと198円、半分だと128円だとします。すごく考えます。「一人暮らしだし使い切らない可能性があるわ……でも、キャベツってけっこう日持ちするから。今週のスケジュールを見ると自炊デーがそこそこあるし、1個買った方が得か……?」と。常連のおばさんらの隣で、同じようにキャベツを手に取り「うーん」と難しい顔をしています。しかし、電化製品など買う時は「なんでもいいよ」と店の人が勧める物をホイと買います。いらない機能が付いて2万円高くても気にしません。「あー、これなら、あっちの店で1割引だったのに」なんて後で友人に言われても「へー」で終わります。
例えばタクシーに乗ります。思いの外遠い所で、しかも渋滞。電車なら30分で行けたところを、1時間以上かけて、すでにメーターは5000円近く。「やばい、これじゃ損して損取っただわ。あー、やっぱ電車に乗れば良かったぁ」とメーターを見ながら気持ちがダウンしてゆきます。目的地に到着し「停めてください」と言い、タクシーがスローに止まります。その時メーターがカタンと上がります。「ん? 80円アップ?」 私の心は5000円をすっかり忘れ、80円を悔やみだすのです。「80円はでかいよぉ。何で停めてって言ったのに、すぐ停めないかなあ? 80円あれば色んなもん買えたのにー。 あー、80円損したぁ。あー、もったいない。あー、80円っ!」
お金が苦手なのは、もう一つ、お金にまつわるイメージのせいです。よく「不浄なモノだ」と言いますよね。「貯めてると運が悪くなる」とか。他にも「使ったら使っただけ入ってくる」「無駄遣いこそ経済の活性化」「贅沢は敵」「贅沢は1度慣れたらお終い」「買い物依存症」「アリとキリギリス」……どっちだよ? となるわけです。使った方がいいの? 使わない方がいいの?
ウチの親は口癖のように「ウチは貧乏だから」と言いました。教育が厳しかったのです。ワガママにならないように、と思ったんでしょうか? 子供が「欲しい」と言った物は、意地でも否定しました。子供だって空気は読めますよ。1度許したら際限なく「欲しい、欲しい」言うとでも? あんまり「貧乏だ」と言うもんだから、少しでも家計を助けてあげようと、隣のスーパーに水を盗みに行ったことがあります。ま、未遂で終わったんですけどね。バケツを探していたところに母がやって来て「何しとるの?」と訊くので「スーパー行って水盗んできてあげる」と答え自信満々、ザ・孝行娘でしょ? な顔で答えたら、ビンタされました。すごく怒られました。最後に「ウチは貧乏じゃない!」と言われました。
実際、ウチは貧乏ではありませんでした。父は役場勤め、いたって中流でした。生活も普通でした。母は倹約家だったか? そうでもありませんでした。しかし、幼少の頃「貧乏」という生活ではなく、概念だけを植えつけられてしまい、お金に対し無頓着でありながら、使うことに妙な罪悪感を持つ人間になりました。
賞金、それだけはパァッと使おうとするんですが、なかなか上手に使えません。賞金は取ろうと思ったって、取れるものではありません。仕事中はいつも「自分の役割を果たさなきゃ」で頭は一杯です。それでも、たまたま賞金が手に入った時は、本当にラッキーなのです。「これは神様からのご褒美なのね」、ちょっと小躍りするぐらい嬉しかったりします。「パァッと使うわよ。何買おうかしら?」とワクワクするんですが、いざお金が手元にくるとビビってしまうんです。「こんなにもらっていいのか? かいた汗に比例しているか?」と。確かに、額には汗をかきませんが、ワキにはイヤーな汗をいっぱいかく仕事です。だから少々高いお金をもらっているのです。納得できます。しかし、プラスアルファされちゃうと不安になってしまうのです。仕事を内容でなく、時間で考えてしまうバイト時代の感覚にふと戻ってしまうんです。
「た、高すぎる時給だ」
「バ、バチが当たるんじゃないか?」
「これこそ不浄の塊ではなかろうか? 早く使わないと。でも、自分一人で使うってバチが当たりそうだわ。よし、楽屋にいるみんなと分けよう」
私は自分の妙な罪悪感を減らすために、みんなに賞金を配るという解決策をあみだしたのです。
しかし、そう思うんですが、いざとなるとねぇ……。うちの事務所は賞金を4割取っていきます。昔からのルールだ、そう言って取っていきます。縁起物だからみんなで分けよう、そんな気持ちだったのに、急に守銭奴になってしまうんです。
「ギャラから十分な搾取をしてるじゃないか。賞金は私が頑張ったからもらえたんだもの。ラッキーでもらえたんだから。それまで当然の顔して持っていくのってどうなの?」
ムカついてくるのです。お金が惜しくなってくるのです。
現場にいるマネージャーは給料制です。私の賞金を奪ったところでお小遣いにはなりません。規則ですから、と取らざるを得ない、辛い立場なのです。実際少ない給料で頑張ってくれています。お小遣いをあげたいです。
10万円賞金をもらいました。まず源泉徴収で1割引かれます。そこからまた、事務所に4割引かれます。手元には5万4千円です。何も使ってないのに、約半分になってます。マネージャーとスタイリストに1万円ずつあげます。残り3万4千円です。……3万4千円……。四捨五入したら3万。10万が3万、10万が3万、10万が3万……あああ~……。
私は器の小さな人間です。こんな人間なのです。残りを3等分しろよ? とんでもないっ!!
最近ではマネージャーを買収しようとしています。「事務所に黙ってたらお金あげる」と。
番組によっては後日振込みという場合があります。忘れた頃、4割引かれた賞金が舞い込むことがあります。今さら人に現金をあげるのもなんだしと思ったり、ご馳走しようと電話すると留守電だったりで、自分一人のために使うことがあります。正直「自分が頑張った賞金なんだ。誰にもやるかい!」と守銭奴な私もムクムクしております。が、その後の罪悪感といったら……。
そんな時、仕事場で大久保さんに会います。「1万円いる?」大久保さんは当たり前のように答えます。「賞金もらったの? いる」と。
「普通の感覚で言ったら、1万円あげるっておかしいですよ」ってよく言うわ。1万円もらう方がおかしいですよ! 普通の人は断りますよ。賞金はあぶく銭? 自分に言い聞かせてるんじゃないですか! もらう人に負担をかけないように、との私のリップサービスじゃないですか! 一つ言っておきます。
「1万円は大金ですよ!」
こないだあげた1万円は、賞金ではありません。CMの仕事が入ったからです。脇役なのでいくらもらえるか知りませんが、でも、いつものバラエティーに比べたら多くもらえるでしょう。想像の段階で罪悪感にさいなまれたので、あげました。あの1万円は、私のポッケから、私が日々胃を痛めながら稼いだ、汗と涙の結晶の1万円です。
あーん、ごめんなさい、ごめんなさい。「そんなに惜しいなら人にやるな!」とは言わないで下さい。「己の罪悪感の塊を人に渡しているのか!」って怒らないで下さい。だって、だって、私は器の小さな人間なんですもん。助けて下さい。誰にでも彼にでも渡してませんよ。自分がお世話になっている人にだけ、お礼したい人にだけですよ。清い心が出発点ですよぉ。
お金とこんな風に交わっているので、高い買い物はしていないのに貯金が貯まらない、というありさまです。ま、でも世間的には、そこそこは貯まってますけどね。ほら、こういうとこ。人間が小さいでしょう? もう、嫌になってきた。あああ~……。
一人ぼっちの老後のために貯めておけ? うるせえ! 分かってるよ!
草々 光浦靖子