11月26日に発売になった『新宿・歌舞伎町 人はなぜ<夜の街>を求めるのか』は、歌舞伎町で23年間生きる元カリスマホストの名物経営者の手塚マキさんがこの街の懐の深さを描き出しました。コロナ禍では攻撃の対象となった<夜の街>ですが、その存在に救われる人はたくさんいます。幻冬舎plusで「美しい暮らし」を連載している矢吹透さんもそんなおひとり。『新宿・歌舞伎町』を読んでの感想を早速お寄せくださいました。
正直でないと夜の街では生きられないのだと著者・手塚マキの文章がそれを表している
「歌舞伎町」の本である。
東京で生まれ育った僕にとって、歌舞伎町は馴染みの深い街である。
子供の頃から、大作映画の封切りを見に行くのは歌舞伎町の映画館だった。チケットを買い、開演までの時間を、マクドナルドやファーストキッチンでハンバーガーを食べ、シェイクを飲んで、潰した。
大学生になるとよく、歌舞伎町のチェーン居酒屋で、コンパと呼ばれる学生同士の飲み会が開かれた。コンパで泥酔した勢いで初めて、覗き部屋なる風俗店に足を踏み入れたのも、歌舞伎町だった。
大人になり、ゲイであるという自らのセクシュアリティを受け入れるようになった頃からは、新宿二丁目からほど近い立地であるということもあり、歌舞伎町一番街のお気に入りのタイ料理屋で何人もの男たちとデートをしたし、コマ劇場の建っていた一角の大箱のディスコで時折り開かれるゲイ・ナイトにも足を運んだ。
歌舞伎町の中心には古い有名なゲイ・サウナがあり、男同士で入れるラブ・ホテルも何軒かある。
そんな街のあれこれにこれまでの半生、僕はいろいろとお世話になって来た。
最近の僕はあまり本を読まない。
書かれるべきことが書かれている本、語られなければならないことについて語られている本に出会うのは、昨今、とても難しい。
どうでもいいこと、当たり前のことが書かれている本を読む気にはなれない。
しかし、元ナンバーワンホストであり、ホストクラブを始め、さまざまな事業を歌舞伎町で展開する手塚マキさんが、その主戦場である「歌舞伎町」についての本を書かれたと聞いて、読んでみたくなった。
この本では、歌舞伎町という街について、さまざまな角度から語られている。
街の成り立ちや歴史、コロナ禍にある現在、そこに生きる人々、そして著者である手塚さんが歌舞伎町とホストクラブで経験して来たいろいろ。
「新書」であるが、学者や研究者が著すのではなく、歌舞伎町で働き、生きてきた当事者である手塚さんが「歌舞伎町」について書いたということの意味は大きい、と思う。
だから、この本は「歌舞伎町」の本であるが、そこに描き出されているのは「人間」である。
この本は、歌舞伎町という街についての本であって、実は手塚マキという人間についての本である。
手塚さんの筆致は、正直で真摯である。
その筆致のトーンは、この本のすべてを表している。
夜の街の明かりは、陽の光よりも鮮やかに、人間の欲望や業を浮かび上がらせるものである。
夜の街では、その場しのぎの装いや飾りは簡単に剥ぎ取られ、その人の正体というものが露見する。
昼の街で幅を利かせる肩書きや経歴などは、夜の街には通用しない。
正直であり、真摯でなければ、他人と渡り合うことはできない。
手塚さんの筆致から、「歌舞伎町」という街で生きるというのはそういうことなのだ、「歌舞伎町」とはそういう街なのだ、と読む側に伝わってくる。