今年は、コロナコロナで、「手洗い、マスク、うがい、消毒、手洗い、マスク、うがい、消毒」とやっていたら、1年間が終わってしまった感じがする。
しかし、よく思い返してみたら、私は、今年、このコロナ禍で、「ちゃんと離婚」をしたのであった。「ちゃんと離婚」というのは、どういうことであるかというと、夫のS原くんと待ち合わせをし、ちゃんと2人で離婚届を出しに役所に行ってきたのだ。
別居生活約5年。夫婦としての生活が破綻して、約5年。S原くんは、私の気持ちが静かになるまで、よく待ってくれた。私は、夫を追い出してから、こんなに時間がたっているとは思わなかったが、自分の顔を鏡でよく見てみると、眉間にシワができ、目の下がたるんで、はっきりした老化が顔にも現れているので、確かに5年はたっているのだろう。
私は、自分たちらしく、離婚したかった。世田谷区の等々力総合支所というところに、婚姻届を出したので、またそこに、婚姻状態をお返しに行く如く、等々力の役所に離婚届を2人で出しに行きたかった。
私の頭の中には、いつも、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が流れていた。♪2人でドアをし~め~て~ 2人で名前け~し~て~♪ これが、離婚の王道、これこそ、別れの正しい道筋と、私はいつも思っていた。
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さすらいの自由が丘
激しい離婚劇を繰り広げた著者(現在、休戦中)がひとりで戻ってきた自由が丘。田舎者を魅了してやまない町・自由が丘。「衾(ふすま)駅」と内定していた駅名が直前で「自由ヶ丘」となったこの町は、おひとりさまにも優しいロハス空間なのか?自由が丘に“憑かれた”女の徒然日記――。