私大入学者全体の半数以上が一般受験ではなく、総合型選抜(旧AO入試)や推薦入試で入学しているということをご存じでしょうか。
Netflixで大人気の韓国の熾烈な受験戦争を描くドラマ『SKYキャッスル』でも「学力絶対主義の時代は終わったの」というセリフがあるほど、総合型選抜が世界のスタンダードになりつつあります。
延べ3万人以上の高校生を難関大合格に導いてきた、総合型選抜のプロである青木唯有氏の著書『親が偏差値思考をやめれば、不思議なほどわが子は伸びる』では、親子で新時代入試を乗り越える方策をご紹介しています。本書から一部抜粋して、試し読みをお届けします。
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「学校歴はないが、学歴はある」
「必要な能力を持った人財を、必要に応じて採用する」というジョブ型雇用への変化は、就活をする学生側に、「あなたは大学でどんなことを学んできたのか?」「あなたにはどんな強みや専門性があるのか?」を問うものになります。
同時に、これまでの、「私は偏差値75で東大に入学しました」とか、「早稲田大学出身です」など大学ブランドにおぶさった就活は、急速に意味をなさないものになっていきます。ジョブ型雇用をする企業側にとっては、大学の名前よりも、何を学び、どんな専門性を持っているかの方が重要だからです。
こうした「何を学んだか?」が問われる時代を目の当たりにしますと、思い出されるのが、以前Twitterで目にした落語家の故・立川談志師匠の言葉です。
「自分には学校歴はないが学歴はある。落語学だったら早稲田や東大のように学校歴が高いやつを集めてきても負けやしない―――」
談志師匠は16歳で高校を中退し、五代目柳家小さん師匠に弟子入りしたそうです。
「学校歴」を比べたら、早稲田卒や東大卒にはかないません。ですが16歳から落語の世界に身を置き続けてきたことで、落語が何たるかを身をもって学んできた。これこそが本当の「学びの歴史=学歴」であって、「学校歴」ばかり立派な人でも、こと落語に関しては自分にはかなわない、そういう意味であろうと思います。
そしてこのような考え方は、実はこれからの若い世代の人たちの価値観に通じるものがあるように感じます。
とあるネットニュースで、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(以下慶應SFC)の総合型選抜の1次審査を突破した高校生の記事を読みました。
ご存じかもしれませんが、同大学による総合型選抜は難関中の難関です。書類による選考が1次審査ですが、これをクリアすることは本当に至難のわざです。ところがこの高校生は、2次審査を放棄。放棄して何をしたかというと、大学進学はせずに起業したといいます。
このことは、今の学生の考え方を象徴する例のように思えます。
大学に行かずとも自分のやりたいことを優先してダイレクトに実社会とつながる道を選択した方が幸せ、そう考える人たちがさらに増えていくのかもしれません。
なぜならば、コロナ禍により大学の真価について疑問符がつく時代になっているからです。実際に立命館大学では、学部生のおよそ1割が退学を視野に入れていることが大学独自の調査により判明しています。経済不況の中で、親の収入が減り、学生自らもアルバイトができずに経済的な見通しが立てられないということが大きな理由のようですが、大学に期待していた付加価値が十分に得られない状況への不満や不安もあるのではないでしょうか。アメリカでは、キャンパスが立ち入り禁止となった上に講義はオンラインのみという実態は “高額な学費に釣り合わない” と、多くの大学が学生から集団訴訟を起こされているそうです。
大学の価値についてその根本が問い直されている状況は、一体何を示しているのでしょう。それは、繰り返しになりますが、「学校歴」をベースにした「社会で成功するにはいい大学に行った方が有利」という考え方がますます適用されなくなるということではないでしょうか。
ただ一つ、確実に言えることがあります。
それは、大学に進学しようがしまいが、これからの時代に誰にとっても必要となるものは真の意味での「学歴」を身につけることです。
慶應義塾大学への合格のチャンスを自ら放棄し起業した高校生の事例が示す通り、本当の意味での「学歴」があれば、それが自分のキャリアを支える何よりの土台となるのです。
この「学歴」を、今の教育用語に言い換えたものが、実は「ポートフォリオ」です。
自らの「ポートフォリオ」を丁寧に作成できるようになると、今後ジョブ型に移行する企業の採用活動にも結果として非常に有利に働くのではないかと思われます。
親が偏差値思考をやめれば、不思議なほどわが子は伸びる
総合型選抜(旧AO入試)のプロである著者は、のべ3万人以上の高校生を難関大合格に導いてきた。偏差値を使わない新時代入試の乗り越え方とは? 親子で今すぐ実践できる最新教育メソッド。