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「うつ」の効用 生まれ直しの哲学

2021.08.25 公開 ポスト

新しい試みは常に、旧態依然としたものへの「怒り」から生まれてきた泉谷閑示(精神科医)

精神科医であり作曲家である泉谷閑示さんの新刊『「うつ」の効用 生まれ直しの哲学』が発売になりました。本書は長年、精神療法を通して患者(クライアント)に向き合ってきた著者が、うつを患った人が再発の恐れのない治癒に至るために知っておきたいことを記した1冊です。「すべき」ではなく「したい」を優先すること、頭(理性)ではなく心と身体の声に耳を傾けることが、その人本来の生を生きることにつながると説く著者。今回は「怒り」をただ抑え込むのではなく、どう取り扱えばよいかについて。

*   *   *

「怒り」を抑えているものは、「怒り」をネガティブと捉える道徳的な価値判断や、人間関係への配慮が主なものです。しかし、ネガティブな感情が出られなければポジティブな感情も出てこられません。つまり、世に言う「ポジティブ思考」というものが長続きしないわけは、ここにあるのです。

そもそも、感情をネガティブ/ポジティブに分ける二元論的判断のところに根源的な問題があるのではないか、と私は考えています。コンピュータ的な性質を持つ「頭」は、コンピュータが1/0の二進法を基礎にして作られているように、二元論的判断を思考の基本要素としているので、どうしてもこのようなことが起こりやすいわけです。

しかし、「怒り」は本来、ネガティブというレッテルで差別されるべきものではありません。不当なもの、理不尽なもの、愛のないもの、侵害的なもの等に対して自然に「心」から生み出されてくる感情が「怒り」なのであり、人類の歴史を見ても、革新的な試みは常に、旧態依然としたものへの「怒り」がもとになって成し遂げられてきたのであって、「怒り」とは閉塞的状況を打開する創造的エネルギーの発露でもあるのです。

もちろん、巷でよく目にする「怒り」は、自分勝手な欲望が満たされないために出てくる未熟なものや、古い怒りが溜め込まれ腐敗して八つ当たり的にぶちまけられるもの等、ずいぶん質の悪い「怒り」も多いかもしれません。しかしながら、その面だけを見て「怒り」自体をネガティブなものと捉えてしまうと、「怒り」の持つ大切な意義を見落とし、その力を生かすことができなくなってしまうのです。

「怒り」とどう付き合うか?

これは「うつ」に限らないことですが、「怒り」の扱いが不適切だったために、「怒り」の悪循環に陥っている方がよくいます。生み出された時には鮮度の良いもっともな「怒り」であったはずのものが、「怒り」を抑える習慣によって溜め込まれて腐敗し、それが溜まり溜まって圧力が高まり、ひょんなきっかけから不適切な場面で暴発してしまう。それを本人はいたく後悔しますが、それゆえ再び感情の蓋を強固に閉めてしまって、また「怒り」が充満しやすい状態を作ってしまう。これが、悪循環の構造です。

アルコールで蓋が緩んだ時に腐敗した「怒り」が暴発すると「酒乱(病的酩酊)」ということになりますし、親密な人間関係の中でコントロールが緩んで暴発する場合には「DV(家庭内暴力)」の形をとる場合もあります。

このような悪循環から抜けるためにも、「怒り」をただ蓋をして抑え込むのでなく、自分自身が「怒り」を受容し、それをどう処理できるのかが大切なことになります。ただし、「怒り」を自分で受容することと、やみくもに外部にまき散らすことは別のことです。「怒り」の受容とは、「心」から出てくる「怒り」を、「頭」が共感し承認することなのであって、言動として外に現すかどうかは、まったく別の「社会性」の次元の問題です。

そうは言っても、溜め込まれて充満している「怒り」を扱う場合には、「社会性」を吹っ飛ばして暴発する危険性もあるので、専門家のサポートが必要なことが多いのです。

「心の吐き出しノート」をつけてみる

しかし、自分自身でできる工夫の一つとして、私はよく「心の吐き出しノート」をつける方法を勧めています。

これは、決して誰にも見せてはならないノートですが、そこには遠慮なくどんな罵詈雑言を書いてもよいことにします。書きたい時には、何ページでもよいからスッキリするまで書くようにします。もちろん、日記ではないので、書きたくない時に無理に書く必要はありません。モヤモヤ・イライラ・ムシャクシャした時に、これを一人で誰にも邪魔されない状況で行う習慣をつけるのです。

その日にあった出来事や感じたことを何とはなしに書いているうちに、次第に処理されなかった過去の情念が芋づる式に湧き上がってきたりします。普段の自分の意識には上らないことであっても、その奥底にいかにさまざまな想いがしまい込まれていたのかということに気づかされていくのです。これは自分自身との対話であり、一種の自己分析の作業でもあります。

書くという行為は、必ず言語的理性の場である「頭」の協力を必要とします。そのため、実際に感情を文字にして吐き出してみようとしても、案外、容易ではありません。「頭」がその感情の発露を許さなかったりするからです。しかし根気よくこの作業を行っていくと、徐々に「心」と「頭」の間の蓋が開き、両者に協働的な関係が作られていくようになるのです。

このように、「怒り」を力ずくで鎮圧するのではなく自分で受容するような方法で解決を図っていくと、「頭」と「心」の関係には本質的な変化が起こります。「頭」が独裁的に「心=身体」をコントロールするという病的な構造そのものが解消され、感情や感覚と理性的思考が矛盾することなく自然なエネルギーに満ちた自分になっていくのです。

ともすれば悪者扱いされてしまいがちな「怒り」や「イライラ」も、このように見方を変え扱い方を工夫することによって、いわばジェットエンジンのような力強さで、その人の人生を推進する見事な働きを示すものになるのです。

関連書籍

泉谷閑示『「うつ」の効用 生まれ直しの哲学』

うつは今や「誰でもなりうる病気」だ。しかし、治療は未だ投薬などの対症療法が中心で、休職や休学を繰り返すケースも多い。本書は、自分を再発の恐れのない治癒に導くには、「頭(理性)」よりも「心と身体」のシグナルを尊重することが大切と説く。つまり、「すべき」ではなく「したい」を優先するということだ。それによって、その人本来の姿を取り戻せるのだという。うつとは闘う相手ではなく、覚醒の契機にする友なのだ。生きづらさを感じるすべての人へ贈る、自分らしく生き直すための教科書。

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「うつ」の効用 生まれ直しの哲学

『仕事なんか生きがいにするな』『「普通がいい」という病』の著者によるうつ本の決定版。薬などによる対症療法ではなく再発の恐れのない治癒へ至るための方法を説く。生きづらさを感じるすべての人へ贈る、自分らしく生き直すための教科書。

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泉谷閑示 精神科医

1962年秋田県生まれ。精神科医、作曲家。東北大学医学部卒業。東京医科歯科大学医学部附属病院、(財)神経研究所附属晴和病院等に勤務したのち渡仏、パリ・エコールノルマル音楽院に留学。帰国後、新宿サザンスクエアクリニック院長等を経て、現在、精神療法専門の泉谷クリニック(東京・広尾)院長。著書に『「普通がいい」という病』『反教育論』『仕事なんか生きがいにするな』『あなたの人生が変わる対話術』『本物の思考力を磨くための音楽学』などがある。

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