禅僧、庭園デザイナー、多摩美術大学教授などの肩書を持ち、『ニューズウィーク』日本版では「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれた枡野俊明さん。著書『禅が教えてくれる美しい時間をつくる「所作」の智慧』は、そんな枡野さんが説く、ちょっとした心がけが詰まった一冊です。お辞儀、お箸の使い方、掃除、感謝、言葉づかい……実践すればきっと「いいこと」が起こり出す、そんな本書からとっておきの智慧をご紹介します。
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開いた掌を相手に向けよう
手にも表情があります。しかも、手は非常にメッセージ性を持っている。
たとえば、友人や知人の家を訪ねたりしたとき、リビングのソファを「指さし」ながら、「そこ座って」と勧められたら、どんな気持ちになるでしょうか。まあ、ごく親しい間柄なら、「おお、わかった」と自然に受けとめられても、それほど縁が深まっていない段階では、「なんだか、扱いがぞんざいだな」と感じませんか?
一方、あなたのほうに「掌を開いて向けて」から、「そちらにかけて」という勧め方だったら、ずいぶん印象が違うと思います。掌を開くという手の所作(表情)から、「(あなたを)大切な存在だと感じています」というメッセージが発せられるからです。
その手の所作が言葉をいざない、「そこ」「座って」ではなく、「そちらに」「かけて」というやわらかい言い方になる、ともいえるでしょう。
かつての日本では、ごく当たり前の躾として「人を指さしてはいけない」ということがいわれました。しかし、現代では、人だろうがものだろうが、指さすことにまるで抵抗感がなくなっています。おしゃべりしながら、相手を指さす人も増えています。まさに隔世の感。
ですから余計に、掌を開くという所作が美しく映るのではないでしょうか。
飲み会でビールのおかわりをお願いするとき、ジョッキを指させば、「これおかわり」とぞんざいにいっているように見えますが、開いた掌をジョッキに向ければ、「こちらのおかわりお願いします」という丁寧な言葉までが見えてきます。前にもお話ししましたが、所作と言葉は一体なのです。
「大事に扱う」というメッセージ
また、両手を使うということも美しい所作につながっています。ものを受け渡したり、受けとったりするとき、片手でおこなうのと両手を使うのとでは、明らかに違います。
私はご法事などでお布施を頂戴するときには、塗物の台(八寸)を用意し、その上にお布施を置いていただいてから、台ごと両手で額の近くまでいただき、納めるようにしています。
また、食事をする場面を想像していただくと、違いはいっそう明確になるはずです。
たとえば、大皿から小皿にとり分けた料理を差し出す(あるいは受けとる)際、両手を使うのと片手だけでやりとりするのとでは、好感度が決定的に違うと思いませんか? 実際に見て確かめていただければ、一目瞭然です。所作としての美しさに格段の差があるのです。
使える手を両方使うという所作は、「それを大事に扱う」というこれ以上にない強いメッセージです。手を寄せることは、心を寄せることにもつながっていますね。
所作を両手でおこなうと、礼儀正しさや、丁寧さや、あるいは、やさしさ、あったかさ、といったものを感じるのは、その所作に寄り添っている「心」が伝わってくるからかもしれません。
禅が教えてくれる美しい時間をつくる「所作」の智慧
禅僧、庭園デザイナー、多摩美術大学教授などの肩書を持ち、『ニューズウィーク』日本版では「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれた枡野俊明さん。著書『禅が教えてくれる美しい時間をつくる「所作」の智慧』は、そんな枡野さんが説く、ちょっとした心がけが詰まった一冊です。お辞儀、お箸の使い方、掃除、感謝、言葉づかい……実践すればきっと「いいこと」が起こり出す、そんな本書からとっておきの智慧をご紹介します。