抽象的な指示をしない
――初監督ですが、現場ではどういう振る舞いをしていましたか。
ひとり こういうことを言われたら役者さんは困るだろうなってことを、なるべく言わないように気を付けていました。僕も今まで役者側として色々な映画の現場にいたからわかるんですが、監督から「今、この男はすごく寂しいんだけど、その寂しさにちょっと酔ってる自分もいるんだよね、云々……」といった抽象的なことを長々と言われても、結局どうすればいいのかわかんないんですよ。だから、そういうときは一呼吸置いて、一番簡潔な言葉で伝えるようにしました。もしくは自分で実際に演じて説明しちゃう。
――今までずっと、ご自分でつくった台本をもとにご自分で演じてきたわけですが、別の役者に演技を指示するというのは、まったく違う体験なのでは。
ひとり 当たり前ですけど、僕はすべての役どころの心境を深く理解したうえで脚本を書いているので、役者さんに対してこのニュアンスで演じてほしいというのを突き詰めると、ものすごく細かいオーダーになっちゃうんですよ。単独ライブは自作自演ですから、自分にとって自分は、思い通りに動いてくれる理想的な役者でしたけど、他の役者さんは自分じゃないから思い通りにいかないこともあるわけです。
でも、役者さんの演技が、僕が抱いていた理想通りじゃなかったとしても、ああ、こういうアプローチもあるんだな、こっちのほうがいいな、なんて気づかせてくれたことあって、それは大きな発見でしたね。全部が全部、自分の頭で考えたものじゃなくてもいいんだと。それに、時には役者さんがこっちの理想を上回る演技を見せてくれることもあるんですよ。よく映画監督が、カットがかかった瞬間に「いただきました!」って言ってるじゃないですか。あれってこういうことなんだなと実感しました。
――ご自分もいち役者として、主人公の父親・正太郎役を演じていますよね。役者を本業としていないタレントさんが映画に出ると雰囲気を壊すことがよくありますけど、この映画でのひとりさんは、驚くほど違和感がなかったです。
ひとり 実は当初、正太郎の容貌はリーゼント頭の、かなりハイカラな感じにしようと考えてたんですよ。でも、ふだん芸人としてテレビに出ている僕のイメージとあまりにギャップがあると、観てる人が照れちゃうだろうなと思ってやめたんです。なので、なるべく自分のパブリックイメージから逸れない範囲での自然なキャラクター造形を心がけました。
――たしかに、テレビで見慣れているタレントさんが、いつもとぜんぜん違う容貌やキャラで映画に登場すると、ものによってはすごくしらけるというか、気が散ってしまいます。
ひとり それを避けるには、今回の僕みたいに普段のままの雰囲気でいくか、ものすごく振り切ったキャラクターにするか、どちらかしかないんです。中途半端が一番良くないんですよ。そもそもタレントが映画に出るのって、すごくハンデがありますからね。僕が言うのも変ですけど、ほんらい役者さんは、なるべくバラエティ番組に出ない方がいいんです。(続く)
青天の霹靂 情報
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