「ショートケーキ」や「チーズケーキ」などの定番商品から、「パリブレスト」「ババ」などの変り種まで、約150種のお菓子に秘められた物語を明らかにした書籍『お菓子の由来物語』。名前や形の由来から、現代にいたるまでの変遷や歴史上の人物との関係性など、お菓子のルーツを余すところなく紹介しているこの一冊から、一部を抜粋してご紹介します。
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スポンジのルーツは、カスティーリャ王国のボーロ(お菓子)
スポンジ(*1)は、15世紀頃にカスティーリャ王国で生まれたものではないかといわれている。その後、カスティーリャの女王イザベルと隣国のアラゴンの王子フェルナンド2世が結婚し、両国の合併により、1479年、スペインが誕生する。
スペインで発展したスポンジは、やがてポルトガルにも伝わるが、当時は、「カスティーリャ・ボーロ」と呼ばれていた。ボーロとは、お菓子という意味で、直訳すると、「カスティーリャ王国のお菓子」という意味である。
スポンジはどのようにして誕生したのか?
当時は、一度焼いたパンを日持ちさせるために、パンを薄く切り、もう一度焼き、現在のラスクのような状態にして保存していた。これを「ビスコチョ」(二度焼くの意)と呼んだ。今日の「ビスケット」の祖先である。
このように、本来ビスケットは、パンを二度焼きするものであったが、やがて、パンの過程を経ることなく、直接、小麦粉や卵などの原料から作られるようになる。あるとき、卵を泡立てて焼いてみたら、ふんわりしたビスケットが焼けた。つまりスポンジは、ビスケットの一種として誕生した。
当初は、型に入れて厚く焼くという発想はまだなく、スプーンなどで天板の上に垂らして、フィンガービスケットのように、焼いていた。今日ある「ビスキュイ・ア・ラ・キュイエール」(スプーンで作るビスキュイの意)という名のビスキュイ生地は、そのときのなごりである。
日本への伝来
スポンジ(カスティーリャ・ボーロ)は、南蛮船により鉄砲などと共に1543年には、日本に伝わる。このときに、日本人の誤解により「カスティーリャ」と「ボーロ」という2つの言葉に分かれてしまう。そして「カスティーリャ」はカステラへと、「ボーロ」は丸いクッキーのようなお菓子へと日本独自の発展を遂げる。
鎖国政策のため、その後のクリーム等の製菓情報が伝わらず、生地の部分のみが発展を遂げるのである。すなわち、几帳面な日本人は、気泡を整え、肌理の細かい生地にし、上面も平らな美しい焼き上がりのカステラという究極のスポンジを生み出す。その一方で、そばぼうろ、卵ボーロ(衛生ボーロ)という日本風クッキーをも作り上げるのである。
*1 スポンジには、(1) ジェノワーズ=全卵を泡立てて作るもの(共立法)、(2) ビスキュイ=卵白を卵黄とは別に泡立てて作るもの(別立法)、の2種類がある。ジェノワーズは、言葉からはイタリアのジェノバで生まれたお菓子のようにも思えるが、イタリアでは、「パネ・ディスパーニャ」(スペインのパン)と呼ばれており、発祥はスペインとされる。ビスキュイは、ジェノワーズに比し、下の写真のとおり生地の肌理が粗い。
お菓子の由来物語
「ショートケーキ」や「チーズケーキ」などの定番商品から、「パリブレスト」「ババ」などの変り種まで、約150種のお菓子に秘められた物語を明らかにした書籍『お菓子の由来物語』。名前や形の由来から、現代にいたるまでの変遷や歴史上の人物との関係性など、お菓子のルーツを余すところなく紹介しているこの一冊から、一部を抜粋してご紹介します。