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贔屓贔屓(ヒーキビーキ)

2022.05.02 公開 ポスト

写真家ヨシダナギが好む日本語「ちょっと」「少し」ヨシダナギ(フォトグラファー)

幼少期からアフリカの人々の美しさに強烈に心惹かれ、23歳のとき単独で初めてエチオピアに渡った、ヨシダナギさん。好きなものを追いかけ続けた結果、フォトグラファーとして活躍する彼女の生き方と作品は若者を中心に指示され、写真展は1年で10万人を動員するなど、注目を集め続けています。

昨秋発売のヨシダナギさんの著書『贔屓贔屓(ヒーキビーキ)』は、読者から「自分にはなかった視点で面白い!」「好きなものは好き、という気持ちを大切にしたくなりました」など、反響をいただいております。

話題の本書より、担当編集が特に贔屓にしている箇所を抜粋してお届けします。

*   *   *

日本語

何を隠そう(別に隠したことなど一度もないが)、私の最終学歴は中学卒業だ。それも、「卒業しました」と偉そうに言ってしまっては本当の中卒の人に申し訳ないくらい、ほとんど学校に通っていない。

当時、いじめに遭って学校が嫌になっていたところに、両親が離婚。私と妹は、引き取ってくれた父親と一緒に暮らすことになった(その父もまた中卒だった)。

「ちゃんと学校に行け」と口うるさく言う母親がいなくなったのをいいことに(ちなみに、母は今となっては私の数少ない友人のひとりだ)、家に籠もってパソコンで遊んでいるうちに、いつの間にか「卒業」ということになっていたのだ。義務教育って、ありがたい。

そんなわけで、自分が無学であることは十分に自覚しているが、なかでも語彙力のなさには自信がある。

ろくに学校に行っていない上に、子どもの頃から本を読むことも苦手だったので当然の末路ではあるが、とにかく難しい言葉が大嫌いだ(そんな人間がよく本を書いているな、というツッコミは誰よりも自分自身が激しく入れている)。

特に、哲学的な言い回しだったり、詩的な表現だったり、それにヒップホップの歌詞に出てくる比喩なんかも苦手だ。そういう言葉を使われても、単細胞の私には何を言っているのかさっぱり理解できないので、読んだり聞いたりしていて苦痛すら感じる(そのくせ、最近ラッパーの「R-指定」に入れ込んでいることは内緒である)。

 

私と会話をしたことがある人なら、「あれ、ちょっと方言が入っている?」と思ったことがあるかもしれない。同時に、「関西っぽい気もするけど、なんか変だな」と怪しんだ人もいるだろう。実際、「どこの地方出身?」と訊かれることがよくある。

だが、私は東京の下町生まれで、すぐ近くの千葉育ち。両親も東京出身で、関西の血統ではない。仲の良かった祖父は青森出身だが、私と遊んでくれていた頃には、すっかり江戸っ子になっていた。だから、周りに方言を話す人は誰もいなかったのだ。

それなのに、私は子どもの頃からイントネーションがおかしかった。

もちろん、それは関西弁ではないし、どこかの方言ですらない。語彙力のなさゆえに話すことが苦手すぎて、ただ言葉に詰まって、発音が変になっているだけなのだ。

話している途中で言葉がわからなくなって適当に誤魔化そうとすることもあれば、最後のほうに差し掛かると、突然、言葉を発することが面倒臭くなってフェードアウトしてしまうこともある。その結果、下手くそな関西弁みたいになってしまうらしい。

それくらい、私は喋ることが苦手だし、とにかく言葉を知らない。他人とコミュニケーションを取るための言語能力や語彙力というものが決定的に乏しいのだ。

 

そのくせ、私はなぜか昔から漢字が大好きで、小学校4年の頃には、唐突に漢字辞典にハマったことがある。

家にあった漢字辞典を片っ端から読んでいって……と言っても、漢字の意味などの解説は読まずに、載っている漢字をひとつひとつ見ていった、というのが正確な表現だが、とにかく、そうやって漢字だけはたくさん覚えた。

そこで、せっかくなので「漢検」というものを受けてみることにした。これだけ覚えたんだから1級も余裕で行けるだろう、と思うあたりが我ながら極端なのだが、結果は、なんと合格にわずか1点か2点足りないだけだった。

ご存知ない方のためにお知らせしておくと、漢検1級というのはそこそこ難易度が高く、合格率は10%前後らしい。だから、小学生にしては良くやったと褒めてやりたいところなのだが、実は、漢字は知っていても言葉を知らないために、漢字を問われても答えられなかったのだ。

どういうことかと言うと、漢検では、文章の中の言葉を漢字にしろ、という問題が多い。要するに、ただ漢字だけを知っていればいいわけではなく、言葉を知らなければ解答できないのだ。

それに対して当時の私の語彙力は、「良心」という言葉すら知らないレベル。「りょうしん」と言えば「両親」しか思い浮かばず、そんな語彙力では合格するはずもなかったわけだ(そのわりに良いところまで行ったのは、わからないながらも適当に書いたものが結構な確率で当たったから)。

おかげで今でも漢字だけはたくさん知っているが、それらがどういう意味で、どういう言葉に使われるかはあまり知らないし、興味もない。

 

それよりも、漢字そのものの形だったり、書いたときの気持ちよさだったりが、私が漢字を好きな主な理由である。

平仮名で書くと3文字の言葉が、漢字にすると2文字や1文字になったりするのも、またいい。漢字で書くことで字数(マス)を節約できた、と思うと妙に嬉しくなるのだ。

だから、「中卒のくせに文章には漢字をいっぱい使ってやがる」と思われているかもしれないが、決して偉そうに見せたいからではなく、単に漢字が好きで、なるべく漢字を使いたいだけなのだ。

とは言え、あまり漢字を使いすぎると、かえって読みづらくて不親切だからと、いつもマネージャーに直されているのが実状だ。

なかでもいちばんのお気に入りは、「寧ろ」。平仮名で「むしろ」と書くとユルくて締まりのない印象が、漢字になった途端にぎゅっと引き締まる。それがいい。すごくいい。

ただ、やはり一般的には漢字で書かれない言葉なので、なるべく平仮名にしろと言われるのだが、これだけはどうしても漢字にしたく、本書でもそれを貫かせていただいております。

他には「有難う」なんかも締まっていいし、「有」は単体でも好きだ。「有」の場合、1画目の左払い(「ノ」の部分)を書くのが特に気持ちがよい。「鐘」「重」といったドッシリとした安定感のある漢字も全般的に好みである。

反対に苦手なのは、さんずいの漢字。理由は、うまく書けないから。左のさんずいそのものは何とか書けても、右側のつくりとのバランスがどうしてもうまく取れない。だから、さんずいの漢字を綺麗に書ける人は字がうまいと信じている。

 

こんな具合に、幼い頃から漢字愛に溢れていたくせに、「日本語」というものについてはさして気に留めたこともなく、愛着も持っていなかった。それが変化したのは、撮影で海外に行き、そこで英語でのコミュニケーションを取るようになってからだ。

私はこれまで計33カ国に出向いていって、200を超える少数民族や先住民を撮影してきた。最近では、ニューヨークとパリでドラァグクイーンの撮影にも挑戦した。そういう場でのコミュニケーションは、基本的に英語だ。

中学ドロップアウトの私は、当然、英語など全く話せず、現地ガイドとのやりとりも最初は身振り手振りがほとんどだった(あとは電子辞書)。

特に最初の3年間は、「よくそんな状態で単身アフリカに乗り込んできたもんだ」と現地ガイドを呆れさせ、彼らの頭を大いに悩ませてきたが、よく言えばおおらかで適当なラブリーアフリカンたちのおかげで、私にも徐々に英語力がついていった。決して綺麗な英語ではないが、今では必要なコミュニケーションは取れるようになっている。

そこで痛感したのが、英語(というより日本語以外の言語かもしれない)の直球っぷりだ。NOはNOでしかないし、欲しいものや頼み事も、すべてがストレート勝負。そこには、ボカして曖昧に伝えたり、相手を傷つけないように遠回しに表現したり、といった日本語ほどの繊細さは微塵(みじん)もない。

例えば日本人は、気に入った相手にもいきなり「好き!」とは言わず、ほのめかしたり、相手の反応をうかがったりして、少しずつ段階を踏んでから、いざ気持ちを告白する。

それに対してラブリーアフリカンは、出会った瞬間に「今夜どう?」もしくは「俺の5番目の妻にならないか?」と直球で誘ってくる始末だ(このド直球さも、時と場合によってはグッとくる場合もあるのかもしれないが)。

お互い英語のボキャブラリーが足りないという理由もあるだろうが、それ以上に、コミュニケーションのあり方そのものの違いなのだろう。

その根底にあるのが言語だと思うのだ。日本語では、英語に比べて様々な言葉や言い回しを駆使して表現する。それゆえ、日本人は曖昧だと言われるのだろうが、私にはそんなコミュニケーションのほうが心地よい。

確かに私は、英語以外の外国語のことはよく知らない。だが、とにかく、日本語というのはなんて繊細で美しい言語なんだろうと、日本語以外の言語と触れ合うようになってようやく思い知ったわけだ。

ただし、どんな言語にも共通して存在する、とても美しい言葉もある。日本語や英語だけでなく、少なくとも私が知っている言語には必ずある(どうせ大した数じゃないだろう、という批判は受け付けない)。それは「ちょっと」「少し」だ。

「ちょっとのごはん」のように数量を表すこともあれば、「あとちょっと」というふうに程度を表現することもできる。だが、何よりいいのは、「ちょっと手伝って」「ちょっと違う」など、相手の気持ちに配慮して表現を和らげるためにも使えるところだ。

謙虚さや奥ゆかしさのようなものを伝えつつも、時には言い訳にもなる。同じ言葉で、フォローすることも、否定することもできるのだ。こんなに使い勝手のいい言葉は、他にはない(と私は思っている)。

それに、こんな言葉が日本語にあるのは納得できるが、英語や他の言語にもあることに、私は何だか感動してしまうのだ(しつこいようだが、私には語彙力がないし、言語に詳しいわけでもないので、この話が的外れだったとしても責めないでほしい)。

 

他の言語にはない日本語の特徴と言えば、日本語では漢字だけでなく、平仮名と片仮名を併用して、さらには外国語であるはずのアルファベットまで日常的に使っている。ひとつの言語で、こんなにも文字の種類を使い分けるのは日本語だけだ。

器用だな、と日本人ながら感心もするし、この使い分けのおかげで、日本語は見た目にも美しくなっていると思うようにもなった。これもやはり、日本語以外の言語に触れることが多くなってからの発見だ。

例えば、「ちょこれーと」と書いても何のことだかわからないが、「チョコレート」と書けばすぐにわかるし、これが「CHOCOLATE」になれば一層それらしく感じられる。そんなふうに、文字を使い分けることで、それが意味しているものを的確に表現しようとする芸の細かさが、いかにも日本語らしい。

ヨシダが愛する漢字について言えば、アルファベットや平仮名・片仮名と違って文字そのものに意味があるのも、改めて考えてみるとすごいことだ。

そのおかげで、知らない漢字でも何となく意味がわかることは結構あるし、魚の名前なんて特にそうだと思う。「鰯」は誰が何と言ってもイワシにしか見えないし、「鯒」はやっぱりコチっぽい。

 

そう言えば、日本語には「擬音語・擬態語」という素晴らしい代物もある。もちろん他の言語にもあるが、日本語は特に種類が豊富らしい。

語彙力が乏しいせいなのか、私はこうした言葉が好きで、普段からよく使っている。特に連発するのが「ねっちり」。マネージャーからは独特すぎるといつも笑われているのだが、調べてみると、ちゃんと辞書にも載っていたぞ!

 

*性質や言い方などが、しつこくてさっぱりとしていないようす。ねちねち。(『ベネッセ国語辞典 電子特別編集版』)

*「ねちねち」に同じ。(『デジタル大辞泉』)

 

……どうやら私の使っている「ねっちり」とは違うようだ。

私の「ねっちり」は、弾力があって、固すぎず、踏ん張っている様を表している。ハリと湿度が共存している食べ物、例えばお餅なんかによく使っていて、こういう食べ物は歯が気持ちいいから好きだ。

ちなみに「ねっとり」とは全く別で、ねっとりした食べ物は好きではない。

関連書籍

ヨシダナギ『贔屓贔屓』

「好き」とか「美しい」くらい、自由にさせて。 大好きなアフリカ人を追いかけていたら、フォトグラファーになっていた。 そんなヨシダナギの偏愛エッセイ。 「好き」という衝動は自分を、世の中を動かす。 少数民族から、うぶ毛・つむじ、サヨリの尻尾まで。 独特の鮮やかな世界観と生き方が注目を集める、ヨシダナギの“美”忘録。

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ヨシダナギ フォトグラファー

1986年生まれ。フォトグラファー。独学で写真を学び、アフリカやアマゾンをはじめとする各地の少数民族や、世界中のドラァグクイーンを撮影、発表。唯一無二の色彩と直感的な生き方が評価され、2016年『日経ビジネス』で「次代を創る100人」に選出。また2017年、講談社出版文化賞写真賞を受賞。作品集に『SURI COLLECTION』『HEROES』『DRAG QUEEN -No Light, No Queen-』、著書に『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』『ヨシダナギの拾われる力』『しれっと逃げ出すための本。』がある。

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