墓問題と家族のかたちの変遷
墓にまつわるトラブルは、日本の家族問題の集積地点でもある。そもそも死者への畏敬の念や死との向き合い方は、人類史上つねに現に生きている人間同士の共同体にとって、大きなテーマであった。それは、集団の宗教観を醸成し、祭祀や慣習の中軸となり、ときにタブー意識の母体ともなってきた。もちろん、近代的な法制度が築き上げられる以前より、人は死に、残された人々はそれを悼んできた。ただ厄介なことに、この「悼む心の表明方法」は、日本の場合旧来の家制度の慣習を基盤としてシステムを構築してきたため、現在の家族のかたちと折り合いが悪いのである。
昨今、お墓を継ぐ者(承継者)がいないか、あるいはいても管理を引き受けるのが難しいという場合が増えてきているという。これは、周知のように「超」がつく少子化のせいもあるが、それ以前の構造的問題もある。戦前まで多くの日本人にとって、墓とは故郷の「ご先祖様の墓(共同体墓)」を指すものだった。ご先祖様の御霊と伝来の土地を守ることの基盤として、共同体墓があったのだ。これが、高度成長期に大幅な都市部への人口流入が起き、「子孫とともに入る墓(家墓)」への転換もまた起こった。
団塊の世代を中心とした「都市部流入第一世代」は、先祖を祀るよりも自らが先祖となるべく、できるだけ居住地に近い場所に墓を買い求めて行った。これは、自分たちの利便性のためではない。管理する(と期待される)子どもや孫たちの利便性を考えてのことである。ある意味、墓の意義が「ご先祖さまのため」から「子孫のため」へとシフトして行ったことの証左といえる。
墓は増えるが引き継ぐ人は減る一方
昨今は急速な家族世帯員数の減少、晩婚化・非婚化、少子化などにより、墓を継ぐべき子孫は減ってきているが、墓の面積自体は増え続けている。たとえば、1919(大正8)年、日本の墓地箇所数は全国で約100万、面積約2万1千ヘクタールだったのが、1985(昭和60)年には墓地箇所数は約86万、面積約11万ヘクタールとなっている。70年弱で墓地面積が5倍となったことになるが、おそらくそこに建立された墓石数も相応に増加していることだろう。一方、平均世帯員数は第二次世界大戦をはさんで5人程度で推移してきたが、近年では2.6人を切っている。乱暴な言い方で恐縮だが、墓地面積が5倍になる中、生活をともにする「生きた家族」の数は半分になってしまったということになる。墓の承継者不足に苦労するのも、無理からぬ話ではないだろうか。
戦後の日本社会では、家族やコミュニティの人間関係は大幅に変化した。もっとも1948年の民法改正により、法システムとしての家制度は廃止されたが、「家の永続性」を前提した家観念は存続していた。墓地に関しては、上述した墓埋法が施行されたのが同1948年だが、今日までそれほど大幅の改正はない。そして墓地の定める墓の承継者は、「三親等内の者」等の規定のある場合も多い。
もともと墓を守る、とは墓石に刻まれた家名を守ることを眼目としていたため、長らく同じ姓を継ぐ長男が承継する慣習であった。だが、すでに高度成長期には1夫婦あたりの子ども数は2~3人まで減少しており、子どもが「娘だけ」で、すでに嫁いで姓が変わっている等の問題は散見していた。最近、墓参りに出かけると見かける「和」「憩」等、ゆるふわな漢字が刻まれた非-家名型墓石は、この「家名を継ぐ者がいない」ことへの対応策といえるだろう。もちろん少子化の影響で、子どものいない夫婦も珍しくはなく、近年では話し合いによって親戚以外の承継者を立てるケースも増えてはいるという。だが、公営の墓地は今なお親族が継ぐべしとの規定が根強いところも多く、何とも悩ましい問題である。
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