長きにわたる減反政策で米の生産が大きく減り続け、余剰も備蓄もない日本。元農林水産省官僚で経済学者・農政アナリストの山下一仁さんによる『日本が飢える! 世界食料危機の真実』は、「軍事危機で海上交通路を破壊されたとき、国は国民にどうやって食料を供給するのか? 日本は有事において武力攻撃ではなく食料不足で壊滅する――」と警告します。日本の抱える食料安全保障の危うさとは?「はじめに」を抜粋してお届けします。
米の減反政策を続ける日本は、世界の中の異常な例外
ロシアのウクライナ侵攻で、世界の小麦輸出の3割を占めるロシアとウクライナからの輸出が減少した。このため、小麦などの穀物価格が上昇し、日本に多大な影響を与えるという分析や報道がなされている。
たしかに、穀物価格は上昇する。しかし、中東やアフリカの所得の低い国は、これによって大きな影響を受けるが、日本にはそれほどの影響はないし、今後もないだろう。
2008年、穀物価格が3倍程度高騰し、世界的な食料危機がG8の北海道洞爺湖サミットの主要議題となったときも、その影響を感じた日本の消費者はいなかったはずだ。
同じように、人口の増加によって国際市場で農産物や水産物の価格が上昇し、日本が買い負けるという主張もある。穀物などの国際価格が上昇すると、中国の爆買いだなどと食料危機を煽(あお)る人たちが必ず登場する。しかし、高級マグロで中国に買い負けることと、日本が穀物を買えなくなることは全くの別物である。
ウクライナ侵攻、世界の人口増加や中国の爆食などによって、国際的な食料品価格が上昇しても、我が国で食料危機が起こることはない。しかし、ほとんどの国民が餓死するかもしれないという、もっと恐ろしい危機が起きる可能性がある。それが、中国の台頭で高まっている。ロシアのウクライナ侵攻は、予見不能な事態を想定して、備えておく必要性を、我々に教えてくれた。
しかし、起こりうる食料危機に対して我々は何の備えもしていない。それどころか、農林水産省、JA農協、農林族議員からなる農政トライアングルは、危機が生じた場合に起こる被害をいっそう大きくさせている。そして、彼らは、その被害の程度を年々悪化・深刻化させている。
防衛省がいくら有事に備えていても、食料供給を中心とした兵站(へいたん)がしっかりしていないと継続して防衛の任に当たることはできない。これは、今回のウクライナ侵攻でロシア軍が示した脆弱性の一つである。
食料は国民生活に欠かせない物資であると同時に、農業には強力な利益団体が存在することから、我が国だけでなく他の国においても、政治や行政による介入が行われることが多い。世界の農産物市場は、自由な市場というよりは、各国の政策によってゆがめられた市場である。
世界の食料や農産物の貿易について実態や実務を知っていても、各国の政策、その歴史や形成過程などについての知識がなければ、的確な分析や予測は困難である。何かの事情で、政府が市場や貿易に介入するからである。残念ながら、専門家といわれる人でもこれらを含めて、食料問題の全体像を理解している人は少ない。
それだけではない。
国民の知識が十分ではないことに付け込んで、意図的に行われる主張がある。典型が、食料自給率が低いから、あるいは、食料危機が起こるから、さらに関税や補助金などの農業保護を手厚くするべきだという主張である。これは、農林水産省やJA農協などによって、さりげなく、巧妙に行われる。
どの国も主食である穀物を減産したりはしない。食料供給は、国家安全保障の要(かなめ)だからだ。食料を欠いては、戦はできない。戦前、農林省の減反案を葬ったのは、陸軍省だった。
しかし、1970年以降の日本は、世界の中の異常な例外である。農政トライアングルが主導した減反政策によって、食料増産を目的として終戦時の900万トンから20年かけて1967年に1400万トン超まで拡大した米生産は、逆に50年間で半減し、700万トンを切ってしまった。餓死者が出た終戦時より、人口が1・7倍に増えているのに、米生産は4分の1も少ないのである。
中国もアメリカもインドも、1960年以降米の生産を3倍以上に増やしている。世界全体では3・5倍の増加である。日本のように、米の生産を減少させている国は極めてまれだ。しかも、米は日本人の主食である。
日本の財政支出は右肩上がりなのに、歳入がそれほど伸びないことから、財政赤字は毎年拡大し続ける。これをグラフにすると、ワニの口のように見える。右肩上がりの世界の農業生産と右肩下がりの日本の農業生産のグラフも、ワニの口である。農業についての世界と日本の関係は、ワニの口だらけである。
三大穀物といわれる米、小麦、トウモロコシについて世界と日本の生産量の推移を図で示そう。まず図1は、世界と日本の米の生産量である。
図2は、小麦の生産量である。
日本ではトウモロコシ生産はほとんどないが、図3で、米や小麦だけでなくトウモロコシでも、中国が生産を大幅に拡大していることがわかる。
中国や世界の農業グラフの特徴は右肩上がりなことである。
図4は、食料安全保障に不可欠な農地面積の推移である。農地は宅地への転用や耕作放棄で435万ha(ヘクタール)しか残されていない。日本の農業グラフの特徴は右肩下がりなことである。
61年に比べると、世界の農地面積は、6%程度とわずかながら増加している。中でもブラジルと中国の増加は1・5倍を超え、突出している。これに対して、アメリカもフランスも農地面積は減少しているが、それぞれ9%、17%の減少である。ところが、日本は38%も減少している(図5)。
農地面積が減少しても、単収(単位面積当たりの収量)を増やすことによって、生産量を維持することも可能である。しかし、小麦の単収についても、1961年比で中国が10倍に伸ばしているのに、日本は60%増えただけだ。農地も単収もワニの口である。
日本では戦中戦後を通じて、人口7200万人、米生産900万トン、農地面積600万haでも飢餓が生じた。今は、人口は1億2550万人もいるのに、当時をはるかに下回る米生産と農地しかない。有事の際、シーレーン(海上交通路)が破壊されれば、戦後の日本を救ったアメリカからの援助は日本に届かない。
シーレーンが破壊されて食料輸入の途絶が一年間ほど続くと、国民の半数以上は餓死するだろう。小麦の輸入価格が3倍になって大騒ぎしている状況とは比べものにならない深刻な危機となる。ロシア軍に包囲され食料が手に入らなくなったウクライナの都市の惨状は、他人事ではない。
そして、シーレーンの破壊以上に厳しい危機となるのは、ウクライナのように他国に侵略され、日本自体が戦場になる場合である。このときは、輸入が途絶されるだけでなく、国内の輸送ルートも寸断されるうえ、国内生産自体も困難となる。第二次世界大戦でも、沖縄を除き、国土が戦場になったわけではない。都市は空襲によって破壊されたが、農村部では、(男子の働き手は不足したが)通常通り農業を継続できた。ウクライナのような事態を日本は経験していない。
1977年、私は農林省(当時)に入省した。この選択を決めたのは、1973年大学入学と同時に世界的な食料危機が起きたからである。また、両親から終戦時の悲惨な食料事情を聞かされて育った。以降農林水産省に30年ほど在籍したが、食料安全保障は私の最大の関心事だった。
在職中の2000年に最初の本を出版してから今日に至るまで、途中JA農協から抗議を受けたり、左遷されたりしながらも、食料安全保障や多面的機能の観点から、農業政策を抜本的に見直すべきだと主張してきた。
私が入省した1977年の米生産量は1310万トンだった。開始から7年が経過した減反政策は、いずれ廃止されるものと思われていた。それが50年以上も続き、農林水産省は、とうとう2022年産米の適正生産量を675万トンにしてしまった。それどころか、JA農協はもっと減らすべきだと農家に働きかけている。しかし、パンも牛乳も豚肉も食べられない食料危機のときには1600万トンの米が必要なのに、どうやって675万トンの米で1億2550万人の国民に生きろというのか。
軍事的な危機が生じたとき、我が国は、武器弾薬がなくなる前に、食料不足から瓦解・壊滅する。
本書の構成を簡単に説明しよう。
第一章と第二章で、食料という財の特性や食料・農産物貿易の特徴などについて、食料安全保障の観点から必要な知識を紹介する。
第三章では、国民の通念や常識が、農家は高い所得を得ているなど、今の農業、農家、農村の実態と大きく異なっていることを示す。
第四章は、食料自給率向上の裏に隠されている農政トライアングルの本当の狙いと、彼らが食料自給率を低下させる政策をとり続けているファクトを明らかにする。以上の章は、国民が、食料・農業問題の“専門家”といわれる人たちに騙されないようにするためである。
第五章と第六章は、米農業は世界で最も持続可能なものであるにもかかわらず、どうして農政トライアングルは、これを抹殺しようとするのか、彼らの真の狙いと利権の構造を説明する。
最後に、第七章と第八章で、日本で起こらない危機と起こりうる危機を解説し、日本で起こる未曽有の危機を乗り越えるためになすべき政策を提案する。
これまで私は21冊の単著を出版してきた。その中でも、今回は、日本の食料安全保障の危機を国民の皆さんに伝えるために、書かなければならなかった本である。同時に、私が在籍した農林水産省、JA農協や農林族議員を告発する書であるとともに、農政改革の実現に力が及ばなかった私の懺悔(ざんげ)と慚愧(ざんき)の書でもある。
日本の農政が正しい途(みち)に戻り、この本で書いていることが全て不要となることを期待したい。
***
続きは、『日本が飢える! 世界食料危機の真実』をご覧ください。
日本が飢える!の記事をもっと読む
日本が飢える!
2022年7月27日発売『日本が飢える!』について