食料の多くを輸入に頼るうえ、長きにわたる減反政策で米の生産が大きく減り続け、余剰も備蓄もない日本。元農林水産省官僚で経済学者・農政アナリストの山下一仁さんによる『日本が飢える! 世界食料危機の真実』は、「軍事危機で海上交通路を破壊されたとき、国は国民にどうやって食料を供給するのか? 日本は有事において武力攻撃ではなく食料不足で壊滅する――」と警告します。第一章「食料とは何か?」より、国民の生命の土台である"日本の食料"を真正面から考えます。
毎日消費する必需品である食料の特徴
食料とは、我々が消費するもののうち最も生活になじみの深いものだ。他の消費財と違って、人の生命・健康に不可欠な必需品だといえる。しかも、ほぼ毎日消費しなければならない。一年間十分に食べたから翌年は食べなくてもよいというものではない。多いときと少ないときを平均して十分な供給があればよいというものではない。一週間でも供給が途絶すると飢餓が生じる。供給不足が生じる可能性が百年に一度という低い確率であるにしても、悲惨な事態を招く。経済のみならず、社会的、政治的な不安や混乱を生じさせかねない。これは軍事的な紛争と同じである。
また、危機になってから作付けしても、農地開発しても、目前の飢餓の解決には間に合わない。工業品のように、いつでも工場で生産できるものではない。自然や生物が相手なので、生産には時間がかかるうえ、病虫害や冷害で予定した生産を実現できないかもしれない。供給が途絶する場合には、備蓄しているものを含めて、今あるものしか食べられない。
衣料、電気製品や住居なども毎日消費するが、一度の購入で長期間賄える。しかし、食料の場合、一度消費するとなくなってしまう。穀物などのようにある程度保存できるものもあるが、野菜、果実、肉や魚などの生鮮食品については、家庭では長期間保存できないので、頻繁に購入しなければならない。穀物や大豆でも、長期間保存できるスペースを持つ家庭は少ない。仮に保存できたとしても、小麦や大豆などは、加工しなければ、そのままでは食用には供しえない。したがって、乾パンなどの加工品を備蓄用として用意することになる。米は籾もみや玄米で貯蔵すると長期間保存可能だが、精米では早く劣化する。食料は、他の消費財と比べて、消費者の購入頻度が極めて高い。
この点で、毎日供給を受ける電力と似たところがある。しかし、電力がなくなったからといって、ただちに生命が危険にさらされることにはならない。江戸時代は、電気がなくても生活していた。しかし、江戸時代でも、食料がなければ、生きることはできなかった。
購入頻度の高さを供給サイドから見ると、消費者に頻繁に届けるための生産、加工、流通体制が必要となる。フランスでは日曜日はほとんどの店が閉まっている。午前中開いているのは、パン屋(ブーランジェリー)と花屋である。食料品を供給する労働だけは、安息日の例外なのだ。
他方で、購入頻度を抑えるために、保存期間を長期化する技術も開発されてきた。乾燥や発酵の技術、砂糖、塩、食品添加物など保存料の使用、流通段階でのポストハーベスト(収穫後の)農薬の使用、缶詰、真空包装などのパッケージ技術などである。
危機という観点から問題となるのは、消費者の加工・調理能力が低下していることだ。経済が成長するにつれ、また、単身世帯の増加や女性の社会進出に伴い、食の外部化が著しく進展した。国民が支出する飲食料費の9割が加工・流通・外食に帰属する。我々は、主に、加工した食品、調理済みの食品、外食店で提供される食品を食べている。
食料とともに石油などのエネルギーの輸入も途絶して、加工・流通・外食といった産業が十分に機能しなくなれば、小麦から作られるパンやうどん、大豆から作られる味噌、醬油や豆腐などを食べられなくなる。我々は、自らこれらを作る知識や技術を忘れている。玄米をついて白米にすることさえ、不確かだ。経済的には進化だったのだろうが、終戦時に比べ、危機への対処や生命維持の技術という観点からは退化した。
供給減ですぐに値上がりする
食料も他の財と同様、価格が下がると需要量は増える。しかし、その増え方に特徴がある。テレビの価格が半分になると、もう一台買おうという気になるだろう。テレビを販売する立場からすれば、価格が半分になっても販売量が2倍になれば、価格に販売量を乗じた売上高は変わらない。もし販売量が2倍以上増えると、売上高は増える。
ところが、食料の場合、価格が半分に下がったからといって、胃袋は変わらない。倍の量を食べることはできない。価格が半分になって、販売量が2割増えたとしても、売上高は以前の60%で4割の減収となる。テレビのような場合を、需要が価格弾力的、食料のような場合を、需要が価格非弾力的という。
これを供給量から見ると、食料(農産物)の供給が少し増えただけでも、市場で販売するためには、価格を大幅に下げなければならない。先の例では2割の増産で価格は5割も低下する。
こういったことは、実際によく見られる。天候がよくて野菜が穫れすぎると、野菜の価格が暴落する。“豊作貧乏”といわれる現象である。価格低下を抑えるために、畑に実るキャベツをトラクターで押し潰して廃棄し、市場への供給量を制限する。逆に長雨などで不作になると野菜の価格は高騰する。仮に2割の減産で価格が2倍になれば、農家の売り上げ=消費者の負担は6割(0.8×2=1.6)増加する。物価対策として野菜はいつも話題になる。食料・農産物の需要が価格非弾力的であるために起こる現象である。
これを利用したのが、米の減反政策である。農家に補助金を出して米生産を減少させ、価格を引き上げれば、農家の売上高は増加する。売上高に比例して販売手数料収入が決まるJA農協も利益を受ける。
農家の売上高増加は、消費者からすれば支払額=負担額の増加である。国民納税者は、3500億円ほどの補助金支出という負担をし、さらに消費者として、米価の上昇という負担をしている。通常であれば、医療などのように財政負担をすれば、国民は安く財やサービスの提供を受ける。しかし、米の減反政策は、国民の主食である米について、財政負担をして消費者負担を高めるという異常・異例の政策である。経済学の費用便益分析を行えば、明確に国民の経済厚生水準を引き下げていることがわかる。やってはいけない政策である。
しかし、生産者の立場に立つ農林水産省としては、消費者のことなど気に留める必要はない。国権の最高機関(憲法第41条)である国会から非難されることはない。自民党から共産党まで、全て減反による高米価政策を支持しているからだ。単に認識不足で不勉強なだけなのか、嘘うそだと知って行動しているのか、よくわからないが、彼らは今でも農民は貧しく助けなければならないという誤った前提の下で行動している。
農民の側も政府の援助に慣れきっている。米価が下がったりすると、農政が悪いと選挙の際批判的な票を投じる。野党も米価が下がると、ここぞとばかり与党・政府を攻撃する。これに与党の政治家は怯(おび)える。売り上げが減少すると、政府に責任があるとしたり政府に補助を求めたりする産業は、他にないだろう。客足が減りシャッター通り化した商店街の店主でも、このような行動はしない。農林水産省の農地転用規制がザルで、農地の跡に大型のショッピングモールができたことが、シャッター通り化の原因であってもである。
米価が高いと貧しい消費者が困るはずなのだが、貧しい人の代表を標榜(ひょうぼう)する政党も、気にする様子はみじんもない。この結果、平均的な国民所得の数倍の所得を得ている農家が、消費者や納税者の負担で大きな保護を受けている。
誰でも食べなければならない。つまり、お金持ちの人でも貧しい人でも、飲食料品を買わなければならない。このため、収入から飲食料品に支出する割合は貧しい人の方が高くなる。消費税を導入・増税すると、貧しい人の負担が大きくなる。逆進性の議論である。消費税を8%から10%に引き上げるときには、食料品の価格が上昇すると、貧しい人の負担が大きくなるという懸念から、飲食料品には8%の軽減税率が適用された。
しかし、政治家やマスメディアがどこまで貧しい人のことを考えているのだろうか。食料品・農産物の国内価格を国際価格よりも高くしている関税をTPP(環太平洋パートナーシップ協定)交渉で守ることを、政治家は“国益をかけた戦い”と呼び、マスメディアも無批判にこれを報道している。実際には、関税によって国民・消費者が負担する額は、消費税の軽減分よりはるかに多い。また、政府は、米の減反政策で市場価格よりも高い価格を消費者に払わせている。
欧米が行う「直接支払い」なら生産者に所得を補償しながら消費者に安く食料を供給できるのに、関税分が加わった高い価格が国益だというのである。
米の減反政策は、消費者や納税者に負担を強いただけではない。後述するように、これが、日本の食料安全保障を危機的な状況に至らしめているのだ。
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続きは、『日本が飢える! 世界食料危機の真実』をご覧ください。
日本が飢える!
2022年7月27日発売『日本が飢える!』について