飛鳥井『空にピース』には実際、存在しているんだけれど、見えていない、もしかしたら見ないようにしていたかもしれないことがちりばめられていて、出てくる児童の一人ひとりの問題がほんとうに軽くないんですよね。家庭そのものが抱える問題、移民の方や若くして子どもを産んだ人たちへの社会のフォローのなさ、子どもたちの学力に対する支援ができていない問題など、ここに書かれている子どもたちの家庭一つ一つが一冊の小説になるものだと思ったんですけど、それを一つの場所に集約して描ききっていることに圧倒されました。でも実際、これが現実なんですよね。そうした個々が詰まったコミュニティが学校という場所で、さらにそれが集まっているのが社会であるということなので。
藤岡 私の友だちが、まさにこの物語の舞台のような地域の小学校の教師をやっていて、「クラスのなかの六、七人が大変な子なんだよ」という話をしてくれたとき、「こんな地域があるんだ」とびっくりしたんです。そうしたところで生きている人たちのことを私はまったく知らなかったので、よし、自分の見えていなかったところをすべて取材して書いてみよう、そこから社会につながるといいなと。こういう子どもたちがたくさん集まっている地域があると多くの人たちが知ってくれて、そこから少しずつでも社会のシステムが変わっていってほしいという希望を持って書きました。
飛鳥井 給食の竜田揚げ一枚から、クラスや学校中を巻き込む喧嘩、事件が起こってしまう場面では、胸を衝かれたのと同時に、そこにある現実に対して心を抉られました。そこに今、この子たちが抱えている問題があるんだ、その問題に対して、社会がまったく向き合っていないんだ、という現実が凝縮されているシーンでしたね。
さらに貧困やネグレクトの家庭の子供が、他の職業を知らないから、将来はコンビニの店員やユーチューバーになりたいと本気で考えている、というところにも衝撃を受けました。私、最近の小学生のなりたい職業の上位にユーチューバーが入ると知って、時代の変遷だなあなんてこれまで軽く考えていました。でも、家族旅行に行くどころか、面倒を見てくれる人もいない家庭の子は、家で動画を見てコンビニで買い物する毎日で、他の職業を知り得ないんですね。子どもって大人から提供される社会のなかで生きているので、狭い世界しか提供されなかったらそれ以上のものを知ることができない。その視点と出会えてよかったと思いました。
―お二人は亜希と同じく子育ての当事者でもあります。“当事者”として、執筆をする場合、何か決めていることはありますか。
藤岡 夢物語にならないよう、具体的な数字、状況の数値は、必ず現在のものを使っていますね。今、まさに同じ状況にいる人が、「そうだね」って、納得できるものを書きたいので。私の小説を読むと現在の状況が嘘なくわかる、というものにしたいんです。『見つけたいのは、光。』では保育園の料金が出てきますよね。無認可保育園の料金も出てきますが、これはまさに私も辿ってきた道だったので、そうそう、これくらい高いのよって(笑)。認可保育園は給料によって変わるけど、無認可はこんな料金体系なんだとか、さらに妊娠すると会社からもらえるお休みも、その制度を利用する人しない人、妊婦さんがその制度を利用することによってフォローに入らなくてはいけない人、そういうリアルがきっちり書かれていますよね。
飛鳥井 私、出産したのがちょっと遅く三十八歳の時で。二十代後半から三十代前半にかけて、私が今、問題としているような側に自分がいたときがあるんですね。というのが、育児ってコンテンツ化されている部分があるじゃないですか。SNSのインフルエンサーみたいな方たちが育児の可愛い部分、楽しい部分を提供し、育児は楽しいこと、可愛らしいこと、というイメージがつくられてしまっている。私も出産していないときは、どこかそういうイメージを持っていたのですが、自分が出産、育児を経験し、自身の体のこと、子どもへの接し方、保育園の料金がどれだけ生活に響いてくるのかなど、次々と降りかかってくる問題をこなしていくうち、それまでイメージしていたものが、どれだけそのなかの一部にすぎなかったのかということを実感したんですね。私はデビュー以来、常に自分の身の周りのことをテーマにして書いてきて、それを読者の方に支持していただいて今があるので、自分が渦中にいることを書かないというのはおかしいなと。ゆえに私という作家のスタンスとして、家計を圧迫する保育園の値段から、保育園に受からない現状、母乳の話ひとつで仲の良かった友だちと縁を切ってしまいたくなるようなネガティブな感情といったものと向き合い、腹を括って書こうと。それが当事者として執筆する際、決めていたことです。
―一方、出産経験のない茗子は、妊娠、育児中の同僚のフォローをし続け、身体も心も疲弊しきっています。茗子の気持ちに心を重ねる人もきっと多いですね。
藤岡 妊娠を理由に、理不尽に仕事を押し付けてくる後輩に、茗子が意見する場面がありましたけど、実際にそういったことはあるんですよね。茗子は何も間違っていないのに、マタハラだと訴えられる。茗子が抱えた悔しさと向き合って思わず涙が出てきました。男の人は、女子じゃないからわからないという言い逃れもできるけど、茗子は女性の会社員としての立場で、そして同じ女子としての苦しみもちゃんとわかったうえで意見しているのに、同性からそういうことを言われ、しかも謝らされて。さらに何もしない夫がいる家で、茗子は家事を一手に引き受け、しんどいなか、ぎりぎりで働いているのに、子どもがいないというだけで、周りからは余裕があるように見られている。これは刺さる人がめちゃくちゃいるはずです。
飛鳥井 亜希と茗子でわけてみたらトータルで考えると、「私は茗子側です」という人の方が多いんじゃないかなと。今、藤岡さんがおっしゃってくださったように、会社ではその問題、なぜか女性同士の争いの話にされてしまいますよね。さらに家に帰れば、夫は家事をしない、それに対しておかしいという感覚もなく、家庭を保っていくためには、自分がやってしまった方が早いから仕方なく引き受けてしまう。そういうことを全部、組み合わせていくと、結果的に茗子って、今の日本にすごくたくさんいると思うんです。
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見つけたいのは、光。
小説幻冬(2022年8月号 ライター瀧井朝世)、本の雑誌(2022年8月号 文芸評論家 北上次郎)、日経新聞(2022年8月4日 文芸評論家 北上次郎)、週刊文春(2022年9月15日号 作家 小野美由紀)各誌紙で話題!飛鳥井千砂5年ぶり新刊小説のご紹介。
「亜希と茗子の唯一の共通点は育児ブログを覗くこと。一人は、親しみを持って。一人は、憎しみを抱えて。ある日、ブログ執筆者が失踪したことをきっかけに、二人の人生は交わり、思いがけない地平へと向かうーー」