もしかしたらこれは自分? あるいはすぐ隣のあの人? そう思わせるくらい身近に思える人々を登場させ、その心の機微を丁寧に描き出すのが飛鳥井千砂という作家だ。五年ぶりの新作長篇『見つけたいのは、光。』は、そんな彼女の真骨頂。登場するのは、異なる生活環境にいる三人の女性だ。
三十五歳の亜希は東京近郊で夫と一歳半の息子と暮らしている。以前は派遣社員として働いていたが、妊娠を告げたら雇い止めに遭ってしまった。派遣会社に新たな勤務先を探してもらっているが、保育園が決まっていないことを理由に断られることも。亜希の暮らす自治体では保育園に入ってから二か月以内に勤務を開始しなければならず、つまりは保育園が決まってから仕事を探すのは難しい。家族の未来に光が見えず、焦燥感が募っている状態だ。
故郷の女友達からは、「保育園不足なんて大げさでは」「一歳半から保育園に入れるなんてかわいそう」などと言われ、話が通じない。そんな彼女の心の支えは、二人の子供を育てるシングルマザー、光の育児ブログだ。光は四十歳、子供は五歳、三歳とまだ幼い模様。亜希の印象では、収入は少なくなさそうだ。〈少子化が深刻で、このままでは国が破綻するということは、ずっと前から言われていました。それなのにどうして、安心して子供を産んで、快適に育てられる社会環境が、いつまでも整わないのだろうと思います〉と綴り、母乳や親の離婚など子育てをめぐるトピックで持論を展開。「育児はこうするべき」「母親はこうあるべき」という意見を一蹴し、論理的かつ建設的な意見を述べる姿に亜希は憧れ、励まされている。
このブログを快く思っていない人間がいる。三十七歳の茗子は、既婚だが子供はおらず、職場では長年にわたり、育休や産休を利用する後輩女性たちの分の仕事を抱えるのが常態化し、疲弊している。かつて、妊娠休暇を利用して旅行したと悪びれず語る後輩の前野に注意したところ、「マタハラ」だと上司に訴えられたこともある。人員を補うために新たな採用試験を試みるも、応募女性に「産休、育休制度は利用できるか」と質問され、心がすり減っている。その鬱憤をはらすかのように、茗子はたまたま見つけた光のブログにキサラギという名前で「少しは人の迷惑を考えてください」「猛省を促します」といった辛辣なコメントを書き込んでいる。
この亜希と光、茗子が、とある理由で島根県の出雲に赴き、互いのことを知らぬまま小料理屋で邂逅。一人客同士言葉を交わすうちにお互いの“正体”を知り、そこから自分たちの置かれている環境について、怒涛のトークが展開していく。この一夜の会話劇の内容がなんともリアルで説得力があり、異様なまでの面白さ。単に互いの不満をぶつけ合うのではない。本音を掘り下げるなかで発見があり、そこから新たな疑問が表出し、さらに本音が開陳されて……と、会話の流れに大きなうねりがあるのだ。しかもどれも、誰もが自分の身に置き換えて考えられる内容である。育児関連の問題は誰にとっても他人事ではないし、そこに付随して、他のさまざまな場でも見かけられる事柄が噴出する。
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見つけたいのは、光。
小説幻冬(2022年8月号 ライター瀧井朝世)、本の雑誌(2022年8月号 文芸評論家 北上次郎)、日経新聞(2022年8月4日 文芸評論家 北上次郎)、週刊文春(2022年9月15日号 作家 小野美由紀)各誌紙で話題!飛鳥井千砂5年ぶり新刊小説のご紹介。
「亜希と茗子の唯一の共通点は育児ブログを覗くこと。一人は、親しみを持って。一人は、憎しみを抱えて。ある日、ブログ執筆者が失踪したことをきっかけに、二人の人生は交わり、思いがけない地平へと向かうーー」