見誤ってしまっているのは
根本の原因や主語の大きさ
まず何よりも、問題の根本的な原因を見誤るという事案。たとえば茗子のように仕事を抱えてしまう人が疲弊する問題は、産休や育休を取得する人に原因があるわけではない。それをいうなら、病欠や不測の事態による欠勤、正当な有休利用によってもこうした状況は生じるだろう。つまりこれは職場の人員数と業務量といったキャパシティやシステムの問題であり、決して制度を利用する人が悪いわけではない。なのに休む社員に冷たい目が向けられる傾向は、多くの職場でいまだにあるのではないだろうか。正当な理由で休んだ人間が罪悪感をおぼえる職場は健全ではない。
類似して、主語の大きさの問題。再び茗子を例にとると、彼女は前野という個人との間に起きたことで苦い思いをしたわけだが、それによって会社の「若い女子」全員を冷ややかに見るようになっている。「前野」が「若い女子」すべてを代表しているわけでも、代弁しているわけではない。このように無意識のうちに主語を大きくしてしまう傾向はよく見かける。わかりやすい例でいえば、ひとつふたつの事例があっただけで「男って」「女って」「日本人って」などと語る人のことだ。
それに付随して、「女の人はこう」「日本人はこう」と決めつけた物言いもやっかいだ。作中でも「子供のいる人はこう思っているだろう」といった言葉が飛び出し、そこからの会話が非常に真摯で読ませるが、「こういう属性の人はこうだろう」と十把一絡げにして決めつけて他人を判断するシチュエーションは多くの誤解や齟齬を生じがち。
また、切実なのは、本書の言葉を借りるなら、「声が届かない」状況があるということ。自分の悩みを誰かに伝えても、「よくある話」「世の中そんなものよ」と流されることはよくあるだろう。ささいな悩みならそれでも耐えられるが、社会的な弱者など深刻なケースでもこれは起こりうる。それによって本人の孤独と苦しさは蓄積され、状況が改善されないどころか問題が隠される危険性も高い。
他にもSNSの匿名性、家父長制の価値観を引きずった配偶者など、現代人が抱えるたくさんの課題が本書には凝縮されている。それを単にカタログのようにちりばめるのではなく、三人の実体験や、一夜のスリリングな会話を通し、物語のなかで炙り出す手さばきはさすが。読むうちに自分自身が過去に直面したさまざまな出来事を思い出し、誰かと語り合いたくなった(実際、語り合った)。現代の育児問題の深刻さも具体的によく分かるが、その根本にあるものは自分たち誰もが共有しているのだと実感させられる。つまりこれは、どんな立場の人にも薦めたい長篇なのである。
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見つけたいのは、光。
小説幻冬(2022年8月号 ライター瀧井朝世)、本の雑誌(2022年8月号 文芸評論家 北上次郎)、日経新聞(2022年8月4日 文芸評論家 北上次郎)、週刊文春(2022年9月15日号 作家 小野美由紀)各誌紙で話題!飛鳥井千砂5年ぶり新刊小説のご紹介。
「亜希と茗子の唯一の共通点は育児ブログを覗くこと。一人は、親しみを持って。一人は、憎しみを抱えて。ある日、ブログ執筆者が失踪したことをきっかけに、二人の人生は交わり、思いがけない地平へと向かうーー」