金と欲望の街「オーシティ」。ギャンブルシティとなった、かつての大阪―ー。泣く子も黙るこの街で、“負け犬探偵”の羽田誠、”死神”と呼ばれる刑事、拷問好きな殺し屋、逃がし屋の少女、命を狙われた娼婦…ワケありの面々が疾走する!
木下半太の『オーシティ』。冒頭を試し読み。
* * *
この街で生きていれば、誰でも愛染の噂を至るところで耳にする。
『愛染が白いスーツを真っ赤にしていた』
どれもこれも同じような目撃談だ。愛染はわざと返り血を浴びたままの姿で街を練り歩く。
羽田はコロナビールを呷って言った。「俺は、危ない仕事からは足を洗ったんです」
「で、絵本探偵か」
「物を探すのが俺の特技ですからね」
「絵本なんか探して何の意味があるんや。自己満足に浸りたいんか」
「人から喜ばれるんですよ」
愛染がカラカラと笑った。他のテーブルのメキシコ人たちがチラリとこっちを見る。午前三時というのに、店は満席だ。愛染と羽田以外は全員メキシコ人で、非常に落ち着かない。
「で、なんでタキシードを着てるねん。それが絵本探偵の正装か」愛染が羽田の服を見た。
怒りでブチギレそうだ。服も金も全部燃えてしまった。
「いつも火炎瓶を持ち歩いてるんですか」
「いや。お前が寝てるやろと思ったから目覚まし代わりや」愛染がフォークでたこ焼きを串刺しにし、羽田の顔の前に差しだした。「食えや」
「いりません」
「何でやねん」
「飲むときは、アテを食べない主義なんですよ。酒に集中したいんです」
「相変わらずヘンコやの」
愛染がせせら笑う。“ヘンコ”とは、大阪弁で「変な奴」という意味だ。
『あなたは大物にはなれない小心者のくせに、見栄っ張りで意地っ張りのカッコつけなの。だから愛してるのよね』
別れた妻の言葉を思い出す。そんな男を一瞬でも愛した妻は、さらに“ヘンコ”である。
「俺に何の用ですか」
愛染がたこ焼きを熱そうに頬張る。「探して欲しい物があるんや」
「今は絵本しか探さないことにしてるんです」羽田は話を聞く前に頭を下げた。
「どうせ、儲かってへんねやろ」
「失礼な。そこそこ儲かってますよ」
もちろん、嘘だ。このまま仕事がなければ、来月には部屋の電気やガスが停められてしまう。
「じゃあ、もっとまともな部屋に住まんかい」
「アメ村が好きなんですよ。道頓堀にも近くて便利だし」
これまた嘘だ。金さえあれば一刻も早く引っ越したい。
愛染がたこ焼きをワカモーレというアボカドのディップにゆっくりとつける。
「こないだ、茶谷の金玉を万力で潰した」
コロナを噴き出しそうになった。愛染が言うからには冗談ではない。
「あいつ、何かやらかしたんですか」
茶谷はかつて、羽田の一番のお得意様だった。借金をしたままトンズラした奴を、よく見つけ出してやったものだ。
「ある男の耳を切ったんや」
「いつものことじゃないですか」
“耳切り茶谷”は、愛染ほどではないが、この街では有名人だ。
「特別な男なわけよ。そいつの耳を探してんねん」
愛染がジョッキのウーロン茶を空にした。愛染はキャラに似合わず酒が飲めない。
「まさか……俺にその耳を探せと」
「期限は三日や」
「無理ですよ」
「誰に向かって“無理”って言っとんねん」愛染がわずかに目を細める。それだけで充分な威嚇だ。
「明日の朝イチで、田舎に帰って入院してる親父の見舞いにいかなきゃなんないんです。親父は肺ガンで余命半年を宣告されて落ち込んじゃって……しばらくは、オーシティを離れて親父の傍で過ごしてやろうかと」
苦しい嘘だ。愛染はピクリとも反応しない。もし、これが本当の話でも、愛染が同情することなどないが。
勝手に膝が震えだしてきた。昔、愛染が自分に逆らったチンピラを探しだしたところに居合わせたことがある。チンピラは羽田の目の前で車に轢かれた。車種はマッチョ志向の強い成金が愛するプチ装甲車、ハマー。運転席には装甲車に全然似合わない白スーツの愛染。愛染は、チンピラを轢いたあとに車庫入れでもするように平然とバックで轢き、もう一度前から轢いた。本当に刑事なのか?
「絶対に、三日以内に見つけ出せ。ええな」愛染が、たこ焼きのフォークで羽田の顔を指して念を押す。
「はい……」そう答えるしか道がない。「せめて、何か手掛かりはないですか」
「あったらお前に頼んでないわ。ギャラは弾むから気合を入れろ」
「幾らですか」
「ここの飲み代や」
「そんな」
「冗談に決まっとるやんけ」愛染がまたカラカラと笑った。「二百万や」
久々の大仕事だ。愛染は昔から、金払いだけはいい。
それにしても、なぜ茶谷が切った耳にそんな値がつくのだろう。何か裏にとんでもない儲け話があるに違いない。真相を聞きたいという欲求をグッと堪える。
余計な好奇心は捨てろ。命がいくつあっても足りない。
「細かいことは茶谷に訊け」
「金玉潰されたんでしょ」
「だからと言って死んだわけとちゃうやろ。今、中津の済生会病院に入院しとるわ」愛染が伝票を握り締め、席を立とうとした。
「ちょっと、待ってください」
「何やねん」
一つだけ、どうしても訊いておかなくてはならないことがある。
「あの……もし、三日以内に耳を見つけ出せなかったら……」
「羽田」愛染がまっすぐに羽田の目を見た。怖いぐらいに穏やかな目をしている。
「お前は何が怖い?」
「はい?」そんな質問、咄嗟に答えることができない。なぜか、別れた妻の顔が浮かんで消えた。
「カーペンターズの妹は太っていることを気にしすぎて無謀なダイエットに励み、あげくの果てには拒食症で死んだ。他人からデブと思われることが何よりも怖かったんや」
「はあ」いきなり、カーペンターズの話をされても困る。
「三日の期限を守らなかったらお前の金玉も潰す」愛染がウインクをした。
訊くんじゃなかった。羽田は猛烈に後悔した。
別れた妻は金玉がなくなった元夫に何て言うだろう。この先、再会する可能性だってある。
『何も気にする必要ないんじゃない。私が愛したのはあなたの金玉じゃないんだから』
妻ならそう言うに違いない。
(つづく)
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