日記、手紙、エッセイ、物語……。人生経験を積んだ今こそ始めたい、「書く」ことへの挑戦。でも、何をどうやって書いたらいいのかわからない、という方も多いでしょう。そんなあなたにオススメなのが、ジャーナリストで毎日新聞客員編集委員の近藤勝重さんによる『60歳からの文章入門』。テーマの設定から、文法、構成、自分らしい表現まで、読めばスラスラ書けるようになることうけあいの本書から、一部をご紹介します。
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『徒然草』に「私」は登場しない
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
よく知られた夏目漱石の『草枕』の書き出しです。この文章が「私は山道を登りながら――」と書き出されていたら、みなさんはどう思いますか。
深みのあった世界が、なんだかいっぺんに壊れてしまいそうな気がしませんか。
と書いたところでふと気がついたのですが、中世を代表する随筆とされる吉田兼好の『徒然草』にも「私」は登場しません。
つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
僕は主語がなくてすむ文章なら、なくていいような気がしています。要は文章の性格と照らして、自己主張の程度の問題として判断すればいいのではないでしょうか。
ただ一行に何度も「私」が出てくるのは絶対にやめましょう。
同様に、同じ言葉を何度も繰り返さないよう心がけてください。川端康成氏(1899~1972)の『雪国』で女の声の形容に「悲しいほど美しい」が5度出てきます。
文芸編集者として一時代を画した大久保房男氏(1921~2014)はそのことを指摘しつつ「川端さん自身はそんなにすぐれた形容とも思わず、何度使おうが気にしなかったのではあるまいか」と著書『戦前の文士と戦後の文士』(紅書房)に書いていますが、どうなんでしょうか。
接続詞も思い切ってカットする
「しかし」「けれども」「だが」といった逆接の接続詞も注意を払って読み直すと、なくても意味は通じる、むしろ削ったほうが文章の流れがいいことに気づかされたりします。足すより削る、リズムのある流れの良い文章を作る基本です。
次の文章を読んだあと、「したがって」「しかし」「だから」を省いてもう一度読んでみてください。
「彼は気が短い。したがって家でもよく声を荒らげる。しかし愛犬には別のようで、怒ったのを見たことがない。だから、犬も彼にはよくなついている」
どうですか? この文章なら、「したがって」「しかし」「だから」はなくても文意が変わるわけでもなく意味は通じますし、流れもそのほうがいいですよね。
副詞にも気を配ってください。
「あの人はとてもステキな方ですね。評判も大変いいと聞いています。僕は非常に尊敬しています」
これが会話文なら、「とても」「大変」「非常に」といった程度を示す副詞は大げさな印象を与えがちです。なくても文章は成立しますが、1カ所だけ入れるとすれば、あなたならどこにどんな副詞を入れますか? ちょっと考えてみてください。
あなたが今作った文章のほうが読みやすく、流れがいいことに気づいていただけたと思います。
書き終えれば読み直す。あってもなくてもいい語に気づけば削る。それだけでも文章がうんと良くなります。
ひいてはそういう積み重ねが文章力につながっていくのです。
たとえば、「海が見えたので、浜辺まで走った」という文章で、「ので」という接続助詞は必要でしょうか。必要ありませんよね。「ので」を削って、「海が見えた。浜辺まで走った」としたほうが、躍動感が伝わってきます。
接続(助)詞はいらないと判断できれば、思い切ってカットしてください。
それだけでテンポのいい文章になるばかりか、文章全体の流れも増します。
60歳からの文章入門
日記、手紙、エッセイ、物語……。人生経験を積んだ今こそ始めたい、「書く」ことへの挑戦。でも、何をどうやって書いたらいいのかわからない、という方も多いでしょう。そんなあなたにオススメなのが、ジャーナリストで毎日新聞客員編集委員の近藤勝重さんによる『60歳からの文章入門』。テーマの設定から、文法、構成、自分らしい表現まで、読めばスラスラ書けるようになることうけあいの本書から、一部をご紹介します。