自分の先祖はどんな人物だったのか――? 日本人の90%が江戸時代、農民だったとされますが、さらに平安時代まで千年遡ると、半数は藤原鎌足にルーツがあるといいます。名字、戸籍、墓、家紋からたどることのできる先祖。『先祖を千年、遡る』(丸山学著)より、自分自身の謎を解く醍醐味とその具体的手法を伝授します。
日本の現在の家の半分ほどが藤原氏の末裔という推測も
「先祖探し」という珍しい生業を持つ私は、依頼人のルーツを追って日本全国を旅することが多く、この稿を起こしている今も東海道新幹線で東京駅に向かっています。現地調査を一通り終えて家路についているところなのです。
今回は、中国地方の旧村(といっても現在では市域に編入されている)に赴き、同地でお寺に伝わる古文書や、依頼人の総本家にあたる家の江戸期の墓石、位牌などを見せていただき約400年前のご先祖名まで明らかにすることができました。
また、その地域の高齢の方にお話をうかがったところ、「この辺りの○○姓(依頼人の名字)は近江源氏だよ」と、はっきり答えてくださいました。地方ではこのように出自に関わる言い伝えが残っている場合も多くあります。
「近江源氏」というのは、宇多天皇(第59代帝 867~931年)の末裔の中で皇室を離れ近江地方で活躍した一族のことを指します。
平安期の皇室は一族が増えすぎ、財政難に陥っていました。
その結果、臣籍降下(皇室を離れ民間に下る)をして自立することを求められるケースが急増したのです。しかし、皇室を離れる際に、ただ放り出す訳にもいきません。そこで天皇は「朕と汝は源を同一にする」という意味合いから『源(みなもと)』という姓を贈りました。
これがつまり「源氏(げんじ)」の誕生です。「源」という姓を持つその一族のことを「源氏」と呼びます。
そうして臣籍降下をした一族は、始祖となる天皇の名を取り、宇多天皇の末裔であれば「宇多源氏」。清和天皇(第56代帝 850~880年)の末裔であれば「清和源氏」などと呼ばれるようになります。
さらに、同じ源氏の一族の中でも、その末裔たちは各地に土着してそれぞれが活躍を始めますので、土着した地域ごとに「近江源氏」あるいは「甲斐源氏」などとも呼ばれるようになっていきます。
つまり、今回の調査では依頼人のルーツは千年以上遡ると近江源氏であり、さらには宇多天皇にまでつながっていくことが見えてきました。
実は、こうしたことを依頼人の方に報告すると、
「えっ、祖先は天皇家ですか!? いやいや滅相もない!」
と、驚かれ、にわかには信じられませんという方が多くいらっしゃいます。
確かに私もこうしたことに興味を持つまでは、自分のルーツが天皇家につながるなどといわれたら「ご冗談を」と、思ってしまったでしょう。
しかし、実際に個々の家系調査をしていきますと「ウチは清和源氏です」「桓武天皇につながる平氏です」という言葉に頻繁に出会います。
平氏も源氏と同じく天皇から「平(たいら)」の姓を賜って皇室を離れた天皇の末裔一族です。桓武天皇(第50代帝 737~806年)の末裔である「桓武平氏」が最も有名です。
また、日本の家のルーツで非常に多いのが、天皇家ではないのですが「藤原氏」です。藤原氏といえば日本史の教科書で誰もが名前を知っている藤原鎌足(614~669年)を祖とした平安期の最強にして最大の氏族であり、まさに「藤」のように天皇家にからみつき姻戚関係を結び続け、平安期には権力をほしいままにした一族です。
藤原道長(966~1027年)の詠んだ次の歌はあまりに有名でしょう。
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることもなしと思へば」
この世は自分のものであり、だから満月が欠けることもないという意味です。藤原の天下であることを確信し、ノリノリという感じです。
それだけ力を持った藤原氏族ですから、末裔も日本全国で活躍し、その子孫も今に伝わります。正確な数字は出しようもないのですが、日本の現在の家の半分くらいは藤原氏の末裔にあたるのではないかという推測もあるほどです。
つまり、これを読まれている貴方もまさに藤原鎌足、そして京の都で怖いものなしという態度だった道長の末裔である可能性がかなり高いということになります。
藤原氏の末裔でいちばん多い名字は「佐藤」
ただ、藤原氏の末裔は現在の名字も「藤原」であるとは限りません。実はほとんどは藤原ではなく別の名字に変わっています。
それでも、藤原氏の末裔の名字だけは非常に見分けやすくなっています。
それは、「藤」の文字と別の一文字を組み合わせた二文字の名字に変換されているからです。
いちばん多いところでは「佐藤」です。
「工藤」「伊藤」なども同様です。
たとえば、佐藤という名字は藤原氏の末裔の中で「左衛門尉(さえもんのじょう)」という役職に就いた人が「左衛門尉の藤原氏」という意味合いで短縮させた「左藤」が「佐藤」に転化してできた名字だといわれています。しかし、実は異説もあり「下しも野つけの国くに佐野荘を領した藤原氏」を短縮させた佐藤である説。「佐渡守の藤原氏」を短縮させた佐藤である説などもあります。
いずれにしても、短縮させて新たな名字となった訳で、芸能人の名前を短縮させた愛称で呼ぶ(木村拓哉さんをキムタクなど)のと似ていて、日本人は千年前から感覚が同じなのだなと面白く思えます。
ちなみに「伊藤」は伊勢守という役職の藤原氏をやはり短縮させてできた名字です。
このような理由から、「藤」が付く名字の方はルーツが藤原氏である可能性がかなり高いといえます。
また、先の「源」「平」(いわゆる源平です)という天皇から賜った姓も現在そのまま名字になっている訳ではありません。
こちらは「源」「平」という文字が跡形もなくなっているので分かりづらいとは思いますが、次項で「源」「平」から生まれた主な名字を挙げてみますので、ご自身が適合するかどうか確認をしてみてください。
このように、普段は自身のルーツと関わっているとは想像もしない天皇家や、教科書でしか知らない藤原鎌足が自分の祖先にあたるというのは実はかなり「普通」のことであり、それほど驚くようなことでもないのです。
年間で50件以上の家系調査を続けてきた私の実感として、日本の家を千年以上遡ると大半は「藤原」「源」「平」に行き着くように思えます。自家のルーツを調査する場合、千年前(平安期)にどのような姓を名乗っていたのかというところまで判明させるのが一つの目標点といえるでしょう。
とりあえずここでは、今皆さまが名乗られている名字も平安期まで遡ると全く異なる「姓」であったとだけ覚えていただければよいと思います。
先祖を千年、遡る
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